りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

読んでいない本について堂々と語る方法(ピエール・バイヤール)

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「本は読んでいなくてもコメントできる。むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」との衝撃的なキャッチコピーがついていましたが、その種のキワモノ本ではありません。

「本を読んだ」とはどういうことなのか。「本を読んでいない」とはどういうことなのか。完璧な「読書」と完璧な「非読」との間にある「未読の諸段階」を論じている第1章の中で、本書の読者は迷路に入り込んだ気持ちにさせられるのではないでしょうか。

「内容を聞いた」とか「流し読みをした」とか「読んだが忘れてしまった」とかいうのは、いったい「読んだ」のか「読んでいない」のか。膨大な全出版物を対象とした場合には、誰もが近似的には「完璧な非読状態」なのであり、ムージルの小説に登場する司書のように「目録を通じて書物の位置づけのみを知る」ほうが、個々の読書よりも有益なのではないか。

そもそも「本を読んだ/読んでいない」ことが問題となるのは、読書に関する共通的な規範(読書義務規範、通読義務規範、本について語る規範)が存在することを前提としており、そんな規範なるものには、どのような価値と意味があるのか・・。

「未開のティヴ族へのハムレット説明」や、「『薔薇の名前』のアリストテレスの著作」や「夏目漱石迷亭先生」など古今東西の事例を紹介しながらの、未読本について語る方法、本や著者を誉める方法、けなす方法、葬り去る方法など、とても興味深いものでしたが、最終章に至ってトーンが一変します。

実は「読んでいない本について語る」とは「自分自身を語る」との意味で自己発見であり、「創造的プロセスへの第一歩」だそうです。つまり、「他人の言葉の重圧から解放されて、自己の内に独自のテクストを創出し、自ら作家となる」ためのステップだというのです。そうか、それが言いたかったのか・・。

ここに記しているレビューの意味すら、考えさせられてしまいました。もちろん、作家になるという大それた目的があるわけもなく、単なる備忘録ですから、どうでもいいんですけどね(笑)。

2010/8