りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

個人的な体験(大江健三郎)

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昨年暮れから大江さんの本をポツポツ再読しているのですが、なんとこの名作が初読でした。

ストーリーはシンプルなのです。結婚後もまだアフリカ冒険旅行を夢見ているモラトリアム青年の予備校講師、鳥(バード)が、障碍児の出産を機に、一時はその子の衰弱死を願って、学生時代の恋人・火見子との性交渉やアルコールへの耽溺という逃避行動に走るものの、土壇場になって、責任を引き受ける決断をするという物語。

タイトルは、クライマックスで主人公が語る言葉からきています。「確かにこれはぼく個人に限った、まったく個人的な体験だ。個人的な体験ののうちにも、ひとりでその体験の洞穴をどんどん進んでいくと、やがては、人間一般にかかわる真実の展望の抜け道に出ることのできる、そういう体験はある筈だろう?」

なんとなく、村上春樹さんの作品との共通点を感じませんか。異常な事態(障碍児の誕生)に陥って、異界を巡った末に(浮気や酒、堕胎医の登場)、最後には人生に立ち向かう決意をするというのですから。もっとも、大江さんの作品も村上さんの作品も、こんな粗筋で評価できるものではありません。このようなモチーフは、テセウススサノオなどの古代神話時代から存在しているのですし、文学を文学たらしめているのは、「どのように書くのか」ということなのです。

本書では、主人公の描写からその非凡さが見て取れます。「15歳から60歳にいたるまで、おなじ顔、おなじ姿勢で生きるほかない、そのような種類の人間」でいるしかない、「運動家タイプの痩せた老人の感じ」の鳥(バード)。「すでに若い娘の無防御な美しさを失い、まだ次の年齢の充実感を獲得するには到っていない、中途はんぱのもっとも貧しい状態に」いる火見子。

もちろん本書には、脳に障碍を持った息子・光の誕生という、大江さん自身の体験が反映されています。本書に始まりピンチランナー調書に至る、障碍を持った息子とともに生きることをモチーフとした作品群は、大江文学中期の金字塔といって良いでしょう。

2010/4