りぼんの読書ノート

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フランス王朝史1 ― カペー朝(佐藤賢一)

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フランスの歴史は知っているけど、血の通った読み物が欲しいと思っていました。現在小説フランス革命を執筆中の佐藤賢一さんの手による本書は、300年間に渡るカペー朝歴代の国王の事跡のみならず、離婚あり、マザコンあり、反目ありの人物像までひとりひとり丁寧に紹介してくれていて、「読み物」としても楽しめる本に仕上がりました。

「前史」として、クローヴィスの開いたメロヴィング朝(481年-751年)、家宰であった小ピピンの開いたカロリング朝(751年-987年)にも触れていますが、これらは西欧全域にわたるフランク王国の色彩が強く、まだ「フランス」ではないとのこと。

カロリング王家が断絶したときに、パリ伯であったユーグ・カペーが諸侯に選ばれたのが、カペー王朝の始まりです。王といってもパリ周辺を領地としているだけで、他の諸侯とは横並びの存在にすぎません。でも、王家の血統と称号を途絶えさせずに細々と継続させたことが、後に花開いて来るんですね。^

カペー朝が続いていた「987年から1328年」は、まさに中世のど真ん中。歴史的に大きな出来事は、ノルマン・コンクエスト(1066年)と対イスラム十字軍、『オクシタニア』に詳しく描かれた異端カタリ派に向けたアルビジョワ十字軍、それとローマ教皇アビニョン捕囚くらいでしょうか。そうそう、修道士カドフェルの背景となっている、女帝モードとスティーブンの英国王権を巡る争い(1135年~1154年)も、この時代の出来事でした。

カペー朝時代のフランスは、分裂状態が続くイタリア・ドイツを尻目に大きな権力構造を築き、パリへの首都機能集中を果たし、「国家」の枠組みを作るに至る過程だったのですが、収入構造は封建領主と大きく変わらず、絶対王制による統一国家という次の課題は、ヴァロア朝に持ち越されます。それは、英仏百年戦争宗教戦争という試練の後に得られるものなのですが・・。

カペー朝の歴代国王と、主な出来事を記しておきましょう。
ユーグ・カペー(987~996)カペー朝開始
敬虔王ロベール2世(~1031)離婚問題でローマから破門
アンリ1世(~1060)母后の反乱、アンジュー伯/ノルマンディー伯の台頭を許す
フィリップ1世(~1108)ライバルのノルマンディー公ギヨームがイングランド征服

肥満王ルイ6世(~1137)神聖ローマ皇帝の侵攻を撃退、官僚団を用いて国内安定化
若年王ルイ7世(~1180)アキテーヌ女公と離婚し、プランタジュネ家の台頭を許す
尊厳王フィリップ2世(~1223)ノルマンディー/アンジュー奪取、アルビジョワ十字軍
ブーヴィーヌの戦いで神聖ローマ皇帝オットーに大勝、会計監査院/高等法院をパリに設置
獅子王ルイ8世(~1226年)ラングドック/プロヴァンスを併合し、現代フランスの枠組みを
作るもののアビニョン包囲中に赤痢で急死。このあたり、オクシタニアに詳しく描かれています。

聖王ルイ9世(~1270)アルビジョワ十字軍終結、第7回/8回十字軍に失敗
勇敢王フィリップ3世(~1285)アビニョンをローマに割譲、アラゴン王国と敵対
美男王フィリップ4世(~1314)ローマ教皇アビニョン捕囚、テンプル騎士団解体

喧嘩王ルイ10世(~1316)生前に息子を残さず急死、王家の命運は下り坂に
ジャン1世(~1316)父王の死後に生まれて数日で死亡、カペー家の直系男子断絶
長身王フィリップ5世(~1322)ルイ10世の弟、三部会を頻繁に招集
悪王シャルル4世(~1328)フィリップ5世の弟、カペー王朝の断絶

最後の数名を除くと、いずれも長命で平均在位期間は30年を超え、直系男子に恵まれています。他の王朝が「継承問題」で力を失っていったのとは対象的です。国家の安定は「継続」にあるのですね。

2010/1