りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

シルフ警視と宇宙の謎(ユーリ・ツェー)

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不思議な小説でしたが、めちゃくちゃ面白い。

学生時代からの親友でライバルでありながら、より優秀なオスカーに劣等感を抱くゼバスチャン。彼は物理学から逃げるように結婚し、研究の王道を行くオスカーに対抗するかのように「多世界解釈理論」いわゆる「パラレルワールド理論」を信奉しています。一方のオスカーは、そんなゼバスチャンが「ありえたかもしれない」別の人生に逃避しているように見えて歯がゆく思っています。

そんな2人の物理学者たちが事件に巻き込まれ、事件を起こすのですが、鳥瞰図的な視点を持つ「観察者」であるかのようなシルフ警視が登場して、不思議な展開になっていくんですね。「観察者」の存在は重要なのです。量子論によると、量子のどのような現象も観察されない限り現実のものとはならないというのですから・・。まずは、黒い森の鳥たちが山々に報告する「プロローグ」を聞いてみましょう。
物理学理論を愛し、偶然を信じない刑事が、最後の事件を解決する。ひとりの子供が誘拐されるが、自分では誘拐されたことを知らない。一人の医者が、本来してはならないことをする。ひとりの男が死に、ふたりの物理学者が争い、ひとりの警官が恋に落ちる。最後には、なにもかもが、刑事が考えていたのとはまったく違って見える。しかし一方で、まさに考えていたとおりでもある。人間の思考は楽譜で、その人生はいかれた音楽だ。おおよそそんなところだったのだ、と我々は考えている。
ゼバスチャンの息子のリアムが誘拐されたのに、誘拐されなかった。ゼバスチャンは「AもBも」というパラレルワールドの恐ろしさに気づく。オスカーは自分が軽蔑するパラレルワールドを作り出してしまったことに気づく。ゼバスチャンの嵌ったパラレルワールドは「いいとこどり」できるものではなかった。ゼバスチャンは、多くの可能性からひとつの選択をするのは自分自身であると気づく。ゼバスチャンは「多くの世界もひとつの世界も同じもの」と気づく。パラレルワールドでは決断は不要であったはずなのに・・。

「おおよそそんなところだったのだ」と、私は読み取りました。事件を引き起こしたのは「ダブルシンクを排除せよ」という言葉にすぎなかったのですが・・。「ダブルシンク」とは「二重思考」のことで、互いに矛盾するふたつの事柄をどちらも真実と捉えるように強制されることだそうです。

2009/11