りぼんの読書ノート

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ローマ亡き後の地中海世界(塩野七生)

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ローマ人の物語の続編にあたりますが、時代的には海の都の物語とほぼ等しく、6世紀から16世紀にかけての、千年を超える期間の地中海世界が対象となっています。

キリスト教や民主主義、平等主義などの近代思想に基づく史観をいっさい採らずに、「時代の合理性」のみで歴史を解説してくれる「塩野史観」はここでも健在です。なんせいきなり冒頭から、こんな凄まじいことをサラッと言ってしまうのですから。

「真のイスラム教は暴力の行使を嫌悪していると、イスラムキリスト教の双方から、両者の歩み寄りのスタートラインでもあるかに言われることが多くなっているが、長い歳月にわたって現実はそうではなかった」・・ローマ法王オバマも真っ青です。

本書のキーワードは「海賊」。ローマ滅亡後、連携を失って孤立した北アフリカ一帯を一気に席巻したイスラム勢力は地中海を「サラセンの海」とし、千年以上もの間、欧州南岸を荒らし回ったのです。ローマ時代には肥沃であった北アフリカの農園の荒廃が、「海賊業」を必要とし続けた経済的背景であったとのことですが、一神教の不寛容さがそれに拍車をかけました。

それにしても「パクス・ロマーナ」が崩れ去り、街や村が個別に分断された「中世」がいかに恐怖に満ちた世界であったことか。32ページものカラー写真で紹介されている地中海沿岸の海賊監視塔(サラセンの塔)の数の多さが、略奪や拉致に苦しみ続けた人々の恐怖を物語っています。千年もの間、海賊に対して組織的に抵抗できなかったということが、「中世」が「暗黒」であったことを象徴しています。とにかく千年ですよ!

そんな中で、印象に残ったことがいくつかあります。ひとつはヴェネチアの存在。彼らがアドリア海東岸のスラブ系海賊を根絶できた理由は、征服した相手に「漕ぎ手」という職を与えて対等に扱ったことによること。サラセンの海賊に襲われなかったのは、組織的な防衛ができていたからであること。教訓的です。

もうひとつはシチリアシチリアを支配したイスラム勢力がとった寛容的な政策が、2つの宗教を平和的に共生させていたということ。拉致されて奴隷とされた人々を救済し続けた「国境なき団体」が存在したことと並んで、暗闇の中での灯火のよう。

ルネサンス以降「西洋」の力が復活してきて、イタリア海洋国家が反撃を開始すると、海賊側はオスマン帝国にそのまま雇われる「海軍」となるんですね。そして両者が総力をあげて激突する1571年の「レパントの海戦」を迎えます。この海戦は「ポワチエの戦い」にも匹敵する歴史の転換点だったようです。

2009/4/29