りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

極北で(ジョージーナ・ハーディング)

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良質の海外文革を届けてくれるクレストブックスの常連翻訳家で、アリス・マンロー、ゼイディ・スミス、ヤスミン・クラウザーなどの作品を手がけている小竹由美子さんが、また1人、新しい作家を届けてくれました。1616年の夏、イングランド捕鯨船北極海から帰国の途に着こうとする時に、自らの意思でただひとり北グリーンランドに残り、一冬を過ごした男が見たものは?

容赦ない北極の冬。太陽は姿を消し闇が支配する空に、狂気のようなオーロラが舞う。昼夜の感覚も、方向感も、生命の気配も失われた、荒涼たる大地は、全てのものから生きる力を奪って凍りつかせるだけではなく、人の正気をも失わせていく。しかし、読者は知るのです。荒涼たる極北の光景は、早産で妻と息子を同時に失っていた、その男の心の中にも広がっていたということを。炎の前に座って静かにヴァイオリンを弾く男を訪なう死んだ妻や生まれなかった息子に向かって、男はただ「消え失せろ」と言う。

やがて、北極の地に太陽が戻り、動物たちが戻り、捕鯨船も戻ってきたときに男はただつぶやきます。「思っていたのとぜんぜん違う」と。これはいったい何を意味しているのか。どうやらその男は、自らを北極のような何ものかに変えてしまったようなのです。希望も絶望も持たず、喜びも怖れも感じることのない存在に・・。う~ん、深い。禅僧の悟りの境地のようだ。

ただ、それだけではないのでしょう。男を置き去りにして戻ってきた捕鯨船に乗り合わせていた若い船乗りが数十年後に再会した男から聞きだした「北極に悪霊がいるのではなく人間が悪霊を作り出した」とか「北極は人間が行くべきところではなかった」との言葉をどう読み取るのかは、読者に任せられているようです。スケールの大きな物語です。

2009/3