文豪デュマが歴史小説で大ヒットを飛ばすようになる前に書いた「歴史読本」的シリーズのひとつで、悲劇のスコットランド女王メアリー・スチュアートの一代記です。スコットランド国王ジェームズ5世を父に、イングランド国王ヘンリー7世の娘を母に持ち、はからずも両王国の王位継承権を有してしまった平凡な女性に降りかかってしまった悲劇・・というのがデュマの解釈ですね。以下は、本書に対するレビューや感想というより、メアリーの生涯を抜粋したメモと思ってください。
彼女の悲劇は、婚約者だったエドワード6世(ヘンリー8世の息子)の急死から始まります。それさえなければ、平和的に統一された両王国の王妃として幸福な生涯を送れたのかもしれません。もっとも、その場合にはエリザベス女王は誕生しなかったことになります。
一時はフランス皇太子と結婚し、夫の即位とともにフランス王妃となったメアリーですが、夫のフランソワ2世も16歳で病死してしまうと、エリザベスのイングランド王位継承を不当に思う国内外の勢力にかつがれる形で、スコットランドに帰国。この時わずか19歳。
その後の彼女には、何一ついいことは起こりません。プロテスタントとカトリックの両勢力が、親イングランドと反イングランドに別れて抗争を繰り返すスコットランドで、最後まで王室権力を安定させることができないまま、イングランド貴族のダーンリー卿と再婚し、彼が殺害された後にはボスウェル伯と再婚。ついには、反乱軍に屈して幽閉され、一時は脱出に成功したものの再度の戦いに敗れて、メアリーを一番嫌っていたエリザベスを頼ってイングランドに逃れることになります。この時まだメアリーは26歳。
イングランドでは、ダーンリー卿暗殺への関与したとの嫌疑で幽閉され続け、最終的には45歳で、エリザベス女王の廃位工作の謀議に加わったとして処刑されることになります。このあたり、映画「エリザベス2-ゴールデン・エイジ」では、スペイン王フェリペ2世が無敵艦隊をイギリスへ派遣する口実を作るための陰謀だったと解釈されていました。事実、アルマダの海戦はメアリー処刑の翌年ですしね。
メアリーにとって命取りとなったのは、イングランドの王位継承権を主張し続けたこと。でも生涯独身で子どものいなかったエリザベスは、メアリーの息子をジェームズ1世(スコットランド国王としてはジェームズ6世)として後継者に指名することになるわけですから、これは譲れないところだったのでしょう。
2008/9