りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

バーデン・バーデンの夏(レオニード・ツィプキン)

イメージ 1

旧ソ連の無名作家によって書かれ、国内では出版もかなわずに長らく埋もれていた小説をノーベル賞作家のスーザン・ソンタグが「発見」して出版にこぎつけた本です。

おそらく1970年代のある冬の日。著者と思える主人公は、ドストエフスキーの妻アンナの日記を携えて、モスクワから列車に乗り、レニングラードへと向かいます。日記に描かれていたのは、ドストエフスキー夫妻がドイツへの新婚旅行で体験した狂おしい日々でした・・。

ドストエフスキーの小説を口述筆記していたアンナは、彼の晩年の妻となり、夫に対して尊敬の念を抱いているのですが、シベリア流刑時代に悪化したてんかんを持病としている50代の大作家は、神秘主義に傾倒しており、暴発する怒りを抑えることもできず、要は一番扱いにくいタイプの男性像。

それに加えて生来の賭博好きであったドストエフスキーは、あちこちで奇矯な行動をとったあげく、ついにはドイツの有名な保養地バーデン・バーデンにあるカジノで、破滅的なギャンブルに溺れていくのです。全ての現金を使い果たし、妻の指輪やケープを質に入れてまで得たお金まであっさり負け、妻の実家から急遽送金してもらった金貨もすべて失い、それでも妻の前で「許してくれ」とひざまずく夫。

アンナは彼を許します。いつしか列車はレニングラードに着き、主人公が訪れたのはドストエフスキーの晩年の家。ふたたび主人公とアンナの日記はシンクロしはじめ、夫を看取るアンナの姿が描かれます。ソンタグの解説にあるように、本書の語り手は、アンナの視点から大作家を眺めています。著者の、ドストエフスキーに対する抑えがたい愛情が、自分とアンナを同一視させるのです。それは、「ドストエフスキーを許す」というアンナの特権的な立場を得たがっているかのよう。

ところが、著者がドストエフスキー夫妻に抱く愛情はさらに複雑。大スラブ主義者でユダヤ人を「民族ではなく種族にすぎない」と書いたドストエフスキーも、日記でたびたび「ユダヤ人ども」と記したアンナも、反ユダヤ主義者であったという事実がストレートな愛情を妨げます。ユダヤ人である著者の痛ましいほどの思いは、バーデン・バーデンでアンナが感じたはずの狂おしさと二重にシンクロしているように思えてきます。ゼーバルトと似た香りの作品でした。

2008/6