りぼんの読書ノート

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生は彼方に(ミラン・クンデラ)

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ミラン・クンデラは不思議な作家です。共産主義革命を支持する詩人として出発しながら、詩作から決別し、やがて党の支持を失って、フランスへ亡命。民主化され、自書の発禁扱いも解けたチェコにも帰ることなく、現在もフランスで、しかもフランス語で作家活動を続けています。

『存在の耐えられない軽さ』の作者と聞けば知っている人も多いでしょう。民主化の動きが戦車に踏みにじられた「プラハの春」を舞台にして、「チェコの純情」のようなジュリエット・ビノシュと、「西欧の奔放さの化身」のような「不思議少女」レナ・オリンの間を揺れ動く優柔不断男の物語。突然のログアウトのような不思議なエンディングも印象的でした。

この本は「自伝的」とも言われていますが、著者と同じ時期を「革命派詩人」として生きる青年ヤロミールの短い一生が、時代も国も違う、ランボーシェリーやロートレアモンバイロンらの人生と交錯しながら描かれていきます。

読者は途中で気づきます。これは、著者が「詩」を葬り去った心情を書いた本なのだなと。「詩人の情熱」がいかに脆くて危険なものかが訴えられるのです。パリ・コミューンをめざそうとしてアフリカに倒れたランボー。イギリス貴族に生まれながら、ギリシャ独立軍に参加して命を落とすバイロン。民衆蜂起に加わろうとアイルランドに赴きながら、ついに1人のアイルランド人と知り合うこともできなかったシェリー。「シュールレアリズムの旗手」と言われながら、革命にあこがれ、ついには些細なことから決闘で命を落とすロートレアモン

革命に全てを捧げたいと熱望し、現実と理想の愛のギャップに満足できなかったヤロミールもまた、恋人を密告し、自身も些細な出来事から命を落とします。彼ら、革命を熱望する詩人たちにとって、目の前で繰り広げられる現実は、常に理想から遠いものであり、「本当の生は彼方に」しか存在しないものだったのですから。

2005/5