りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

忘れられたワルツ(絲山秋子)

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淡々とした語り口ではあるものの、常に「死」を意識しているように思われる著者の作品は、独特の世界観を形作っています。本書に収録された7編は大震災の後に書かれた作品ということもあり、その傾向が強く顕れているようです。

「恋愛雑用論」
「恋愛とはすなわち雑用である」と感じている主人公は、恋愛や家族に対して冷めた視線を持っているのですが、「雑用ではあっても不要ではないので関わってしまう」のです。

「強震モニタ走馬燈
「離婚したから遊びに来ませんか」と誘ってくる女友達は、海辺の静かな家に住んで、地震計を見つめながら夜を明かしているのです。地震が発生するたびに緑色に発光する日本列島は、まるで生き物のようです。

「葬式とオーロラ」
「一体何時間経ったのか感覚を失うほど」に、豪雪のハイウェイをドライブしている主人公は、亡くなった恩師の葬式に向かっているのです。サービスエリアで出会った「オーロラを運ぶ女」とは再会できるのでしょうか。

ニイタカヤマノボレ
「シマウマの夢を見るといやなことが起こる」と感じている主人公は、シマウマの黒線を楽譜に見えてしまうようです。その連想は、送電線に向かって音符を投げて作った音階から未来を読みとるという、謎の予言者へと続いていきます。そういえば送電線というものを強く意識したのは、原発危機のときでした。

「NR」
「裏の竹藪で竹の花が咲いた」日に同僚と出張に出かけた男は、謎めいた駅に降り立ってしまいます。幻聴に飲み込まれていく男を描いた太宰治の『トカトントン』をモチーフとした作品です。

「忘れられたワルツ」
ピアノを弾く姉、テレビに出る評論家めいた母、未知の言語を学ぶ消防士の父。母の行方不明と、姉の失踪が起きるまでは、普通の家族だったのですが・・。

「神と増田喜十郎」
女装する老人と、市井にて苦悩する神がすれ違う瞬間を描いた異色作です。小松とうさちゃんに収録されている「ネクトンについて考えても意味がない」で、老女とミズクラゲが海中で意識を通わせる瞬間と共通するものを感じます。

2018/4