りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

祈りの海(グレッグ・イーガン)

イメージ 1

1990年代に著された11篇の短編を収録した作品集です。現代のSF界で、もっともハードな作家と言われる著者の多彩な発想を楽しめる作品が揃っているように思えます。やはり短編集であるTAPと並んで、「イーガン入門書」として適切な本だと思います。

「貸金庫」
自分自身の実態を持たず、毎朝めざめると「別の宿主」に意識が入り込んでいる男は、どうやって自分の意識を保ち続けているのでしょう。貸金庫に自分の記録を保管していた男は、本来の自分と思える存在を見つけ出してしまいます。損傷を受けた脳の回復機能がこんな発現をするとは、すごい発想です。

「キューティ」
子供が欲しくてたまらないのに、恋人から子作りを拒まれた男が取った最後の手段は何だったのでしょう。最も早い時期の1989年に書かれた作品です。

「ぼくになることを」
宝石と呼ばれるバックアップ用の人工脳は、脳の老化に備えただけのものだというのですが、それは自分自身なのでしょうか。自分の脳を宝石に切り替えても、自分を保てるのでしょうか。

「繭」
バイテク企業で起こったテロ事件の真相は何だったのでしょう。どうやら、ゲイを抹殺できる遺伝子コントロール設備を破壊したのは、その機能を「政治的に正しい」方法で宣伝しようとした会社のようです。現在すでに行なわれている出生前診断の延長線上にある問題のようです。

「百光年ダイアリー」
収縮し始めた銀河では時間が逆流する? 過去の自分に「日記」を送って未来を知らせることが可能となった時代ですが、日記にはいつも真実が書かれているわけではなさそうです。

「誘拐」
誘拐されたのは、実在する妻ではなく、スキャンされた妻のコピーでした。それを取り戻すために身代金を払う価値はあるのでしょうか。本書の中で一番気に入った作品です。

「放浪者の軌道」
まるで感染症のように他者のイデオロギーが伝染する世界。思想の汚染を避け続けてきた主人公ですが、思想的な潔癖症ですらひとつの思想かもしれないのです。

ミトコンドリア・イヴ」
母型からのみ遺伝するミトコンドリアをたどっていくと、人類の始祖である「ミトコンドリア・イヴ」にたどりつくのでしょうか。本書のテーマは、遺伝学的SFというより、科学的真実が引き起こす人種・社会問題ですね。なお本書の解説者は、『パラサイト・イヴ』の著者ででる瀬名秀明さんです。

「無限の暗殺者」
無限の並行宇宙を混乱させる「渦」を発生させる能力者を排除するには、全ての並行世界でその人物を殺害しなくてはなりません。全ての世界でアイデンティティを失わずに、任務を遂行できる存在など可能なのでしょうか。

「イェユーカ」
癌をはじめとする難病が排除されたとはいえ、それは一握りの金持ちだけが享受できる特権。ウガンダで発生した奇病を追う主人公が、真相を突き止めて取った行動とは?

「祈りの海」
この世界は2万年前に聖母によって造られたという宗教が意味するものは、何だったのでしょう。2万年前に移住した惑星に、信仰を拠り所とする社会を築いた人類の子孫たちは、科学技術の発展によって存在意義の根幹が揺るがされてしまいます。

2015/8