りぼんの読書ノート

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嵯峨野明月記(辻邦生)

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「光悦本」とも呼ばれる「嵯峨本」は、豊臣から徳川へと政権が移った17世紀に作成された豪華な古活字本です。2004年の「琳派展」で実物を拝見しました。本書は、桃山文化の粋ともいえる「嵯峨本」誕生に関わった3人の人物の物語。

1人めは、刀剣鑑定家の嫡男として生まれてマルチ・アーティストとなりながら、好を通じた斉藤利三千宗易古田織部らの武人・茶家らの没落を目の当たりにして、生命の儚さを達観するに至る本阿弥光悦

2人めは、絵画工房の家に生まれて絵師への道を志しながら、狩野派ら御用絵師と一線を画して、自らの内面にある形や色を思うままに描き出すことに生涯を懸けた俵屋宗達

3人めは、安南貿易や河川開削事業で巨財をなした角倉了以の長男として生まれ、父の跡を継いで実業家の道を歩みながらも飽き足らず、儒学者の藤原星窩に学問を、本阿弥光悦に書道を学んだ角倉素庵(与一)

やがて3人は出合い、企画出版元となった素庵が光悦の書を木版に彫らせ取り、宗達がデザインした高級用紙に刷ることによって「嵯峨本」が生れ落ちます。

もちろん辻邦生さんの著作らしく「嵯峨本」の誕生は「特別の瞬間」となります。光悦には、自らの死の後も「花々や空の青さが人々に甘美な情感を与え続けている限りそれらのなかに私たちの思いは、あのささやかな美しい書物とともに生き続ける」と語らせますし。

光悦の述懐は、ニュアンスこそ違え、悔恨しながら進んだ人生のひとつの証として「嵯峨本」を残すことができた素庵にも、新しい絵画の境地を独力で切り開いて琳派の祖となった宗達にも共通する思いと読み取っていいのでしょう。現代に生きる私たちも、作品鑑賞を通して「芸術の永続性」を感じ、作者の思いに触れることが出来るのですから。

2012/2再読