りぼんの読書ノート

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通訳ダニエル・シュタイン(リュドミラ・ウリツカヤ)

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本書の主人公には実在のモデルがいるそうです。ポーランドユダヤ人一家に生まれ、奇跡的のホロコーストを逃れてベラルーシに逃れ、同胞の命を救うためにユダヤ人であることを隠してゲシュタポの通訳となり、その後、カトリックに改宗してイスラエルに渡ったダニエル神父。

その後の彼の人生もドラマチックなのです。カトリックであるためにイスラエル国籍を拒絶されただけでなく、キリスト教徒としても原始キリスト教に回帰しようとする姿勢がローマからは異端視され、にもかかわらず、ポーランド時代の同胞であった教皇ヨハネ・パウロ二世とバチカンで会談するのですから。本書は、そんな数奇な人生をおくった人物の姿を、本人を含む多数の人物の日記・書簡・会話などを通じて浮かび上がらせた「コラージュ的な」小説です。

人種的には「ユダヤ人vsアラブ人」、宗教的には「ユダヤ教vsイスラム教」との対立軸が鮮明と思えるイスラエル問題ですが、そこは同時にキリスト教の発祥の地でもあります。多くのキリスト教徒も活動していることまでは想像に難くはありませんが、その多様さにも圧倒されます。ローマ・カトリックギリシャ正教ロシア正教、さらにはそれぞれの内部でさまざまに枝分かれした数多くの宗派。

信仰を突き詰めて純化させていく行為が、どうしてしばしば狭量さを生み出してしまうのか。どの宗教もが説いているはずの「愛と寛容」から程遠い地点へと、人々を運んでしまうのか。ユダヤ人でありながらナチスの通訳を行なったことと同質の困難が、複数の言語のみならず複数の立場を和解させることに生涯を費やしたダニエルに付きまとっていたかのよう。「ナチスユダヤ教内部の教義論争どころか、ユダヤ教徒かどうかすら区別しなかった」の言葉は、別の意味で重すぎるのですが・・。

しかしダニエルは単なる理想主義者でも、周囲の無理解を嘆く者でもありません。賛同者の手を借りて貧しいながらも教会を起こし、貧しい者や悩める者が安息を見出せるための活動を楽天的に、精力的に行なうのです。そして、著者が作中で「天使」と呼んだ、ナチス党員の祖父を持つドイツ人女性・ヒルダが、半生を通じてダニエルに協力します。

そういう物語ですから、登場人物も多彩です。パルチザンの女闘士リタと、彼女がパルチザンで産んだエヴァ。ゲットーを逃れてアメリカに渡ったイサーク医師と、妻のエステル。リトアニアを逃れてイスラエルロシア正教の司祭となるエフィムと、妻のテレーザ。極右ユダヤ主義者のゲルションと、繊細な息子ビエミオン。アラブ人カトリック教徒のムーサと、純朴なドルーズ教徒たち。若きダニエルが愛したマリーシャ・・。モザイク的な生の断片が結びついて姿を現わすのは、ダニエルという「個人」を超えて、「宗教」や「歴史」という「大きな物語」なんですね。

2009/12