りぼんの読書ノート

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レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密(コスタンティーノ・ドラッツィオ)

新潮クレストブックスから出版された『ミケランジェロの焔』は、ルネサンス期の巨匠の生涯を1人称で綴り、名作の誕生の背景や苦悩を本人に成りきって語った作品でした。それに対して、以前に書かれた「秘密シリーズ」は3人称で綴られており、これまでカラバッジョダ・ヴィンチラファエロの3作が刊行されています漢交差。ただし多くの挫折と失敗を含む天才の光と影を丹念に描くことで、世界中を魅了する作品の軌跡に迫る点では共通しています。

 

フィレンツェ近郊のヴィンチ村で成功した公証人セル・ピエロの私生児として生まれたレオナルドが早熟の天才であったことは間違いありません。しかし家庭環境に恵まれなかったことで、彼は独学者とならざるを得ませんでした。後年になって土木、建築、兵器などの各分野で時代を超える才能を発揮しつつも、その大半がアイデア倒れで実現しえなかったことは、これと無関係ではないようです。著者はダ・ヴィンチがミラノ時代に精力的に取り組んだ設計図を「空想の兵器工場」と呼びました。美術の分野でも彼の新奇なアイデアは計画倒れに終わることが多く、「最後の晩餐」の異常な劣化や「アンギアーリの戦い」などの大作が未完に終わったことなどは基礎知識の欠如によるのでしょう。彼の有名な鏡文字も、幼少期に矯正を受ける機会がなかったことが理由のようです。

 

それでも彼は時代のはるか先を行く唯一無二の天才でした。ヴェロッキオの工房で描いた天使像は師を越えて生き生きと描かれ、「受胎告知」の背景は風景画というジャンルを生み出し、「白貂を抱く貴婦人」は身体の動きを描いて「一瞬を永遠にとどめた」美術史上初の作品となりました。そして「最後の晩餐」と「モナリサザ」は今なお世界で最も有名な美術品のひとつに数えられています。

 

ダ・ヴィンチは、20代の第1フィレンツェ時代、30代から40代にかけての第1ミラノ時代、50代初期の教皇軍に同行しての各都市流浪を経て、50代から60代をフィレンツェ、ミラノ、ローマで過ごした後に、アンボワーズで晩年を迎えました。当時の社会的背景や技術的な制約に加えて、独断的な性格や、当時は異端的とされたキリスト教解釈もあいまって、1か所に腰を据えて大作を完成させることが少なかったことが惜しまれます。ところで著者は、ダ・ヴィンチの革新性を継承した真の後継者は、彼の120年後に生まれたカラバッジョであると断言しています。はじめて聞く説ですが、「魂の動き」を表現し得た画家という2人の共通性を見出した著者の慧眼には説得力を感じます。

 

2024/9