りぼんの読書ノート

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雪(オルハン・パムク)

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前作『わたしの名は紅(あか)』が、世界的ベストセラーとなり、ノーベル文学賞候補にもなっているトルコのオルハン・パムクが、「最初で最後の政治小説」として著したのが、本書『雪』です。

『わたしの名は紅』では、16世紀トルコの細密画師たちが西洋ルネッサンス絵画と出合った衝撃と葛藤を描くことによって、イスラムの伝統的価値観と西洋文明とを対比して見せましたが、本書で描かれるのは、現代イスラムの抱く政治的葛藤。

EUへの加盟を悲願とするトルコにとっては、アタチュルク以来の政教分離政策の徹底による、近代化の推進は、当然の政治的課題。でもそれは、伝統的イスラム教徒には心地よいものではありません。トルコ国内においても、政治的対立が終息していないわけですが、西洋とイスラムの対立やディレンマは、政治グループ間だけでなく、一人一人の人間や、良心の中にも存在しているのでしょう。

本書の主人公Kaは、ドイツに亡命している詩人ですが、新聞記者の友人の勧めで、トルコ辺境の街を取材に帰国します。ヴェールを外そうとしない少女たちへの虐待が起きた街には、Kaがかつてあこがれていた美貌のイペッキが住んでいました。無心論者だったKaは、亡命中どうしてもかけなかった詩が、雪に降り込められ、外界から孤立したカルスの街で、次々と彼の心に湧き出てくるのを感じ、神の存在を実感します。そして、イペッキとともに幸福をつかもうと決意するのです。

ところが、原理主義者の市長候補の当選を阻止するためのクーデターが起き、Kaは意に反して巻き込まれてしまう。中立な立場で、西洋的価値観を代弁できると思われたから・・。軍部からは、イスラム過激派との仲介(実はスパイ)を依頼され、過激派からは、自分たちの訴えを西洋に伝えてくれと頼まれる。Kaは、自分の良心と幸福のために、ある行動をするのですが・・。

この本は、中途半端な無心論者のための本なのかもしれません。そう、まるで、私のような。Kaとともに、私心も揺れ動きます。そして、この本を読み終わったときには、他の文明と宗教に対する寛容と理解の重要性が、心の中に染み通っているのです。

2006/5