りぼんの読書ノート

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フランス王朝史2ヴァロア朝(佐藤賢一)

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カペー朝に続く、「フランス王朝史3部作」の第2弾です。イングランドとの百年戦争とともに始まり、宗教戦争の中で終わった王朝は、来るべき絶対王政時代に向けての「長い助走期間」だったようです。

幸運王フィリップ六世(1328~1350)
カペー家直流が絶えたため、傍流からフランス王となったのですが、女系ながら王位を要求したイングランドエドワード3世から、後に百年戦争と呼ばれる戦役を起こされます。クリシーの戦いで完敗してカレーを奪われ、されには黒死病流行の混乱の中で亡くなったというのですから、「幸運王」の呼び名はどうなのでしょう。

良王ジャン二世(1350~1364)
イングランドエドワード黒太子にポワティエの戦いで完敗。捕虜になったまま生涯を終えます。身代わりの人質が脱走したため自ら捕虜生活に戻るとは、善良というべきなのでしょうか。

賢王シャルル五世(1364~1380)
名将ゲクランを起用してイングランドに連勝し、停戦に持ち込みます。しかし、より重要なのは、徴税・常備軍・官僚制を採用し、絶対王政の端緒を築いたことでしょうか。

狂王シャルル六世(1380~1422)
治世は長かったのですが、精神障害があったようで、家臣団やイングランドに左右される時代になってしまいました。死後はイングランド王・ヘンリー5世に王位を継承させる条約まで結ばされたのですが、シャルル6世のほうがタッチの差で長生きだったのは、フランスにとって幸いでした。

勝利王シャルル七世(1422~1461)
フランスにおけるイングランド領の大半を奪回し、ついに百年戦争に終止符を打つことができました。フランス復興の功績は大きいのですが、その反面、勝利の立役者となったジャンヌ・ダルクを見殺しにしたことは悪評を残しました。

ルイ十一世(1461~1483)
フランス復興に尽力したとのことですが、大きなエピソードを残していないせいで印象は薄いですね。

シャルル八世(1483~1498)
「温情王」とも呼ばれますが、イタリア戦争を始めたことで知られています。いったんはナポリ王国を手に入れて王となりますが、ヴァネティア・ミラノ・ローマ教皇連合軍に敗れて、逃げ帰ることになりました。

ルイ十二世(1498~1515)
ヴァロア朝の直系が絶えたため、傍系から王となりました。イタリア戦争を再開しますが、成果を上げるには至りません。著者の初期の傑作王妃の離婚に登場する君主です。

フランソワ一世(1515~1547)
またも傍系からの君主です。宿敵ハプスブルク家のカール5世とイタリアを巡って争い、悪評高いロ-マ略奪を起こしたりしていますが、最終的には断念。レオナルド・ダ・ヴィンチの保護者としても名を残しました。

アンリ二世(1547~1559)
カトリーヌ・ド・メディシスを妻に迎えて多くの子女をもうけますが、馬上試合の事故で急死。アンリ2世死後のフランスは、ユグノー戦争で内戦状態になっていきます。

フランソワ二世(1559~1560)
父親アンリ2世の急死で15歳で即位しますが、16歳で病死。妻だったメアリー・スチュアートは故郷のスコットランドに戻り、エリザベス女王のライバルとして波瀾万丈の生涯をおくることになります。

シャルル九世(1560~1574)
兄の後を継いで10歳で即位しますが、実権は母后カトリーヌにありました。妹マルゴーの結婚式の晩に起こしたサン・バルテルミーの虐殺の2年後に、24歳で病死します。

アンリ三世(1574~1589)
ヴァロア朝の最後の王になります。宗教内戦が激化するなかで、カトリックの盟主ギーズ公アンリと、プロテスタントの盟主ナバラ王アンリの間に立って、平和的解決を望みますが、問題はこじれるばかり。結局、ギーズ公を暗殺した後に、自らも暗殺されてしまいます。王権は、マルゴーを王妃とした、ナバラ王アンリに継承されるのです。

さあ、次巻は「ブルボン朝」ですね。

2015/12