りぼんの読書ノート

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遺訓(佐藤賢一)

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山形県鶴岡市の出身の著者が、戊辰戦争をほぼ無傷で生き残った庄内藩の奇跡を綴った新徴組の続編にあたる作品です。なぜ明治維新の際に敵であった元庄内藩士が、西郷隆盛の「遺訓」を編纂し、上野の銅像を立てる際の発起人となったのか。明治初期の秘話を語るのは、前作の語り手であった沖田総司の義兄・沖田林太郎の息子、芳次郎です。

物語は明治9年、沖田芳次郎が旧庄内藩の家老たちから、明治政府を去って鹿児島に戻っていた西郷隆盛の警護を命じられるところから始まります。戊辰戦争で不敗のまま降参した庄内藩に対して寛大な措置を指示した西郷の名声は、庄内では圧倒的に高かったのです。それに加えて、いち早く旧武士階級による殖産政策を成功させていた庄内は、鹿児島との共通点も多かったようです。

しかし中央集権体制の確立を急ぐ明治政府にとって、地方レベルでの旧武士階級の温存など認められるものではありません。佐賀、熊本、福岡秋月、山口萩の士族反乱が相次いで勃発して鎮圧された背景には、政府の挑発もあったのです。そして、かつて西郷の盟友であった大久保利通の最大にして最後のターゲットは、鹿児島となっていました。

薩摩藩士の妄動を抑えていた西郷隆盛が、なぜ蜂起の主導者とならざるを得なかったのか。鹿児島に合わせて蜂起を準備していた庄内が、なぜ沈黙を保つこととなったのか。そして「遺訓」はどのような経緯で編纂されることとなったのか。叔父の総司や父の林太郎と同様に天然理心流の遣い手であった沖田芳次郎が、死闘を通じて成長していく過程で体感したヒストリアは、著者の地元愛が書かせた作品なのでしょう。

2018/11