りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

もう一度(トム・マッカーシー)

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昏睡状態から目覚めた主人公は、何らかの事故で重傷を負い、記憶の大半を失っていることに気づきます。思い出せることは脈絡のない断片的なことばかりであり、自分が「本当の人生」を生きているという実感を持つことができなくなっていました。

「事故について何も語らないこと」を条件に巨額の示談金を得た彼は、失われた記憶の再現を試みます。といっても、科学的な療法ではありません。記憶に近いアパートを丸ごと買い上げて改装し、普通の人々を「役者」として雇って記憶の中にある光景を「再演」させようとするのです。階下から漂うレバーを焼く香り。同じところで間違うピアノ。差し込む日差しの角度の調整・・。それらの細部は、記憶を取り戻す助けになるのでしょうか。

もちろん、いくら「再演」を繰り返しても「本当の人生」を生きることにはなりません。やがて彼の関心は、「現実」と「演出」の境界を飛び越えてしまい、次第に危険な領域に入り込んでいくのです。

結局、主人公の記憶は戻りませんし、事故の真相もわかりません。本書が呼び起こすものは、私たちもまた「再演」だらけの「本当でない人生」を生きているにすぎないのではないかという疑問なのです。主人公の狂気に引き込まれて、世界をコントロールすることに魅せられていく仕切り屋のナズは、もうひとつの異常なタイプなのでしょう。こちらも怖い感覚です。

原稿の持ち込み先からことごとく断られ、わずか限定750部で出版された後に評判になったという本書は、荒削りで先が見通せない作品です。でもそれこそが、本書の魅力なのでしょう。

2014/5