りぼんの読書ノート

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世界の歴史4「ビザンツ帝国とイスラーム文化」(J.M.ロバーツ)

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西ローマ帝国滅亡以降、文化の中心はコンスタンチノープルに移ります。1543年にオスマントルコによって陥落させられるまで千年続いた東ローマ帝国でしたが、その歴史は、勃興してきたイスラム勢力とスラブ民族の前に領土を失い続けた緩やかな滅亡の過程でした。

著者は、東ローマ帝国ビザンツ帝国)の最も重要な遺産は「スラブ民族に正教を伝えたことであろう」と述べています。ローマ教皇が800年にシャルルマーニュに皇権を与えたことを契機に東西教会は分裂し現在に至っていますが、キエフ公国の正教化がロシアとバルカン半島に残した影響は、今でも大きいものがあります。ポーランドスラブ民族は、この時にカトリックを選びました。ロシアに対してはカトリックの、西欧に対してはスラブ民族の最前線であったポーランドは、その後、苦難の歴史を歩むことになります。

その間東方で大きなうねりとなっていたのは「イスラム化」の波。610年にイスラム教成立。コーランを旗印としたアラブ民族は、オリエントからアフリカ、イベリア南部までを征服・統一しますが、732年のポワチエの戦いに敗れて西欧への進出は頓挫。同じ頃に起きたウマイヤ朝からアッバース朝への交替、さらにはトルコ系奴隷傭兵・マムルークへの実権の移動や、各地の独立などが続き、10世紀以降現代に至るまで、アラブ世界の再統一は果たせていません。

セルジューク・トルコの勃興、サラディン対十字軍の争いなどを経て、形骸化していたアッバース朝は、1258年、モンゴルにより滅亡。モンゴルの短い支配の後、オリエントには2つの大勢力が勃興します。イランを中心に、パキスタン、インド北部アフガニスタンを支配したサファービー朝ペルシア(1501~1736年)と、現在のトルコ、アラビア半島、エジプト、バルカン半島に及ぶ地域を支配し、東ローマ帝国を滅亡させ、2度に渡ってウィーンを包囲したオスマン・トルコ(1299~1922年)。

敵役としてのオスマンの存在が西欧キリスト教文化圏の形成を促し、さらには間接的に大航海時代の幕開けをもたらすことになったことを思うと、トルコの果たした歴史的役割は極めて大きいですね。この時代の西欧は、東・西・南は、イスラム、スラブ、ビザンツに塞がれ、北からはまだキリスト教徒ではなかったノルマン人の侵略を受けるなど、地域的にも文化的にも閉鎖的な遅れた世界だったようです。

2007/2