りぼんの読書ノート

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神坐す山の物語(浅田次郎)

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著者の母方の実家が奥多摩の御岳山の神官であったことは、あやし うらめし あな かなしの後書きで知りました。そこに収録されていた「お狐様の話」赤い絆と同様に、著者が少年時代に伯母から聞かされた怪異譚の連作短編集です。

まずは複雑な登場人物を整理しておきましょう。本書の主役ともいうべき験力高い神官の曾祖父(一宮)。曾祖父から異能力を引き継いだ祖母(イツ)。イツの夫として婿養子に入った芸事に優れる祖父。その2人の子供たちが、少年に怪異譚を語る伯母(ちとせ)、神官職と異能力を継いだ伯父(康)、美しい伯母(カムロ)、夫と離婚して女手ひとつで少年を育てている母(也子)らです。そして主人公の少年もまた、見えざるものを見る能力を持っていました。

「神上がりましし伯父」
少年が小学生だった時に、神官の伯父(康)は亡くなりました。少年は通知が来る前に、神官姿で近親者に別れを告げに来ていた伯父を見ていたのです。神道において、死とは「神上がる吉事」なのですね。

「兵隊宿」
祖母のイツが婿養子の祖父を迎える直前の、日露戦争の頃の物語。雪山で行方不明になった兵隊を捜索に来た部隊が、当時兵隊宿となっていた宿坊を訪れます。戦後すぐに行われた祖父母の結婚式に現れた、当時行方不明になっていた兵隊は、不思議な出来事を話し出します。

「天狗の嫁」
透き通るほど美しい病弱なカムロ伯母は、6歳のときに天狗にさらわれて、大きくなったら嫁に行くという約束をして帰してもらったそうです。彼女は、伊勢湾台風が荒れ狂った夜に、天狗の来訪を怖れて慄きます。

「聖」
曾祖父のもとで修行したいという密教の修験者に対して、曾祖父はきびしい態度で接します。異能力とは、荒行で身に就くものではないのですから。

「見知らぬ少年」
毎年夏に宿坊に集まる親戚の子供たちは多すぎて、互いに覚えきれなかったようです。同世代の少年たちが肝試しをしようと集まった晩、誰も見たこともない少年が紛れ込んでいました。「かしこ(畏)」と名乗った少年の正体とは?

「宵宮の客」
一夜の宿を求めて雨の山道を登ってきた男客は、何を連れてきていたのでしょう。戦前の貧しい男女の悲恋物語は、著者が得意とするところですね。

「天井裏の春子」
狐落としを得意としていた曾祖父が、洋装のモダンガールに憑いた狐と対峙します。しかし曾祖父は、赤坂溜池が埋められて行き場を失った老狐に向かって、神意を斥けて人間としての説諭を始めるのです。稲光が横に家を突き抜けるという「お渡り」は、神の怒りだったのでしょうか。

最後に、著者が日本古来の神について述べた印象深い言葉を転記しておきましょう。
「外国から渡来した神仏には、愛だの慈悲だのという人間性があるのだが、日本古来の神は超然としており、ひたすら畏怖すべき存在である。そうした意味では、一概に宗教とは言えまい。私たちは未知なる自然や神秘なる現象を総括して、固有の神とした。長い歴史の中で、預言者の出現すら許さなかった、怖ろしい神である。」

2018/6