「日本の田舎の老人」という「種の存在」を、シュールなブラックユーモアとして描いた作品が『四人組がいた。』なら、本書は同じテーマを純文学として描いた作品なのでしょう。
東京の大学を出て関西の大手メーカーに就職し、奈良県大宇陀の旧家の婿養子となった伊佐夫は72歳。交通事故で長年植物状態になっていた妻を半年前に亡くし、ずっと不仲だった一人娘はアメリカで就職しており、わずかな棚田で黙々と米を作りながら一人暮らしを続けています。
かつての妻の不倫疑惑、夫を亡くした義妹の接近、隣家の娘の出産、少女の失踪事件、一人娘のアメリカでの結婚なども起こりますが、そのような人間界の出来事だけがメインテーマではありません。より多くの物語が、痴呆の症状も現れてきた伊佐夫の脳内で進行するのです。おぼろげに現れては消える過去の記憶を、どのように整理していくのか。日々の営みをどのように進行させていくのか。東日本大震災と原発事故という未曽有の天災・人災とどのように向き合うのか。
一方で、奈良県大宇陀という土地に根差した神話的な時空もまた、人間界の背景には存在しているのです。それらは、水田に迷い込んだ大鯰の存在や、シェイクスピアのテンペストやマクベスや、義妹の趣味のフラダンスのミクロネシア神話などと交じり合いながら、超自然的なカオスとして伊佐夫の脳内に留まり続けているようです。
そして最終ページの大カタストロフィーに至ります。帯にあった「現代人は無事、土に還れたのだろうか」との問いに対する答えは、もちろん「YES」なのでしょう。
2017/7