りぼんの読書ノート

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べつの言葉で(ジュンパ・ラヒリ)

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「両親の言葉であるベンガル語を実母とするなら、成長過程で身に着けた英語は継母」と例える著者が、第三の言語となるイタリア語で綴ったエッセイです。イタリア語で書いた「取り違え」、「薄暗がり」という2編の掌篇小説も収録されています。

そもそも彼女はなぜ、第三の言語を必要としたのでしょう。著者は「実母と継母からの逃避」と表現しています。それは自分の意志で選んだ言葉を持つことで、はじめて自立が成し遂げられるという意味なのでしょう。また著者は、20数年前にはじめて訪問したイタリアで、イタリア語の美しさに惹かれたとのこと。つまりイタリア語の選択は、母親からの強制ではない「一目ぼれの初恋」だったのですね。

しかし、ローマに移住してイタリア語で文章を紡ぎ始めた著者にとっても、新たな言語の習得は容易なものではありません。溝をヒラリと飛び越える表紙写真の少女のように新しい世界に飛び出したものの、歴史や土地との結びつきを持たない場所への着地は困難なのです。ポケット自書を片手にしてイタリア語と格闘する姿や、ある程度マスターした後でも店員から「May I help you?」と話しかけられるというエピソードには、滑稽な面もあります。

それでも、「この挑戦の本当の意味は不完全を受け入れることを学ぶこと」と言い、「自分の英語の豊かさ、強さ、しなやかさに圧倒され」つつも、「生まれたばかりの赤ん坊のように抱きかかえているわたしのイタリア語を守りたい」と思う著者の姿勢は、感動的です。

著者の英語の作品も、イタリア語の本書も日本語でしか読めていない読者としては、どこまで違いを見分けられたのか心もとないのですが、イタリア語で書かれた2編の掌篇には、これまでの作品とは異なる身軽さを感じました。「低地を最後として、もう実在の土地、現実の地理から設定して書くことはないだろう」と語っていた著者の新境地です。

2017/5


【追記】
本書を読んで「ハングルに感電」して韓国に留学した鷺沢萠さんのことを思い出しました。クォーターである彼女がハングルを学び始めた動機や著作の性格は、本書とは全く異なるのですが、君はこの国を好きかケナリも花、サクラも花のレビューを読み返してみました。