りぼんの読書ノート

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皇帝フリードリッヒ二世の生涯(塩野七生)

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「ローマ以降」を描いた「中世3部作」の棹尾を飾るのは、「中世を超えた男」であるフリードリッヒ2世。すでに十字軍物語3にも登場した人物です。

赤ひげ王フリードリッヒ1世の孫としてシチリア王であったフリードリッヒは、空位になっていた神聖ローマ皇帝の座を21歳の若さで手に入れます。ローマ法王領を南北から挟撃する領地を得たわけですが、法王との関係悪化の理由はそれだけではありません。ルネサンス時代を先取りしたかのようなフリードリッヒの合理性が、ことごとくローマ法王と対立したのです。

第1次十字軍以来で最大の成果をあげたエルサレム返還が、法王や教会の批難を浴びたというのは有名な話。宗教的高揚感をもたらさない交渉による解放など、法王の望むところではなかったのです。まして異教徒との間で寛容の精神を育むなどは破門もの。イングランドのジョン失地王が押し付けられた「マグナ・カルタ」よりも時代を先取りしたといわれる「メルフィ憲章」による法治国家への試みも、もちろん異端。

やがて法王は、外国勢力を頼んで、公然と皇帝の排除に動き出します。後にマキャベリが「ローマ教会の最大の問題は、自らはイタリアの問題を解決する力もないかわりに、外国勢力をイタリアに引き入れること」と述べることになる状況の始まりです。フリードリッヒ時代には問題になりませんでしたが、ホーエンシュタウフェン朝の子孫たちは、陰惨な報復を受けることになってしまいます。

フリードリッヒの死(1250年)から15年後にはダンテが生まれ、イタリア・ルネサンスへの道を切り開いていくことになります。「生ききった、と言える人間にとって、勝者も敗者も関係なくなる」という結びの一文は、塩野さんによる心からの賛辞ですね。

2014/9


P.S.
ローマ法王がヨーロッパの所有者である根拠とされてきた「コンスタンティヌス大帝の寄進書」が、法王庁が勝手に作った偽物であったことは驚きですが、それが1000年も通用してきたことには、もっと驚かされます。