りぼんの読書ノート

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『青鞜』の冒険(森まゆみ)

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平塚らいてうが中心となり、日本で初めて女性たちの手によって刊行された雑誌『青鞜』の歴史を追った作品です。「元始、女性は太陽であった」という有名な創刊の辞や、与謝野晶子が送った「山の動く日来る」という詩によって、「新しい女たち」というコンセプトを打ち出した雑誌の実態とはどのようなものだったのでしょう。

本書には「女が集まって雑誌をつくるということ」という副題がついています。かつて地域の女性たちで立ち上げた雑誌『谷中・根津・千駄木』(通称、谷根千)を20年以上継続してきた著者は、雑誌編集の楽しさも難しさも理解しています。しかも『青鞜』の編集拠点地域は100年後の『谷根千』とほとんど重なっているのです。

創業時の編集者は、平塚らいてう、保持研子、中野初子、木内錠子、物集和子の5人で、皆20代半ばです。会費を納める社員や賛助威員は、当初は有名人の妻や娘が多かったものの、尾竹紅吉、神近市子、伊藤野枝らの『青鞜』の理念に魅かれて、より若い女性たちも集まってきます。「五色の酒事件」や「吉原登楼事件」などマスコミからのバッシングにもあい、「堕胎論」、「貞操論」などで発禁処分を受けたりもしますが、当時の高揚感は「編集後記」からもうかがい知れます。

「女子の覚醒」を促した『青鞜』を衰退に向かわせたのは、皮肉なことに男女関係でした。創刊号から表紙を描いた長沼智恵は高村光太郎との恋愛にのめりこんでデザインを放棄し、らいてうは「若いツバメ」奥村博との同棲を始めて雑誌編集から次第に遠のき、後を継いだ伊藤野枝大杉栄の許へ走って『青鞜』の歴史は終わります。

著者は自分の経験から、広告取りや書店めぐりなどの営業活動や、校正や印刷などの地道な作業をないがしろにしたことも『青鞜』の衰退原因のひとつにあげています。ネガティブな面や反省点も含めて、やはり『青鞜』は先駆者だったということなのでしょう。

2014/2