りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

2013/12 六条御息所源氏がたり(林真理子)

小説というものの幅の広さを改めて感じさせられました。『源氏物語』から『屍者の帝国』までが、「小説」というひとつのジャンルに入っているのですから。森鴎外の名作を生んだ史実を追う六草さんの労作ですら、一種の「小説」のように思えてきます。ミラン・クンデラさんの手厳しい小説論では、これらの作品はどう位置づけられるのでしょう。

1.六条御息所源氏がたり(林真理子)一.光の章二.華の章三.空の章
「私の名を、どうか聞いてくださいますな」と六条御息所の亡霊が語り始めるのは、ダメ男に厳しく、不倫女にはもっと厳しく、嫉妬の感情を書かせたら天下一品の林さんが描く源氏物語。ほとんどビョーキの青年がオヤジ化していき、最後には手痛いしっぺ返しを受ける展開はクライマックスの連続。タカビーでジコチューな六条御息所の視点は、時として紫の上や明石の君などの聡明な女性たちの視点と、さらには林さん自身の視点と重なっていくようです。

2.それからのエリス(六草いちか)
前作で『舞姫』のヒロインの氏名、生誕地、職業などを公的記録からつきとめた著者が、鴎外と別れてからのエリスの後半生をたどります。記録の森を彷徨った著者がついにつかんだのは、エリスの結婚と晩年の姿。そしてついに見つけ出したエリスの係累とエリスの写真。なによりも、徹底的な調査によって事実を発掘していく著者の姿勢が感動的です。

3.屍者の帝国(伊藤計劃/円城塔)
伊藤計劃の遺したプロローグを、円城塔が引き継いで完成させた「現代の奇書」。フランケンシュタイン博士が生み出した生きる屍体「ザ・ワン」を追うのは、若き医学生ワトソンや傷心のレット・バトラーら。アリョーシャ、大村益次郎ダーウィン、エディソン、ハダラー・・19世紀末の実在・想像の人物たちが入り乱れての活劇の末に、人類に霊魂を与える「X」の存在は解明できるのでしょうか。

4.路(ルウ)吉田修一
若き女性商社員の視点から描く、台湾新幹線の受注から開業までの7年間の物語は、「プロジェクトX」のような本格企業小説ではありません。商社員、台湾生れの老人、建築家、車両整備員など多くの者の人生ドラマを通じて、日本と台湾を結びつける個人の絆が爽やかに浮かび上がってくるのです。

5.カーテン(ミラン・クンデラ)
世界の予備解釈である「カーテン」を引き裂いて、人間の本質と不可分の喜劇性や未知の実存や謎を明るみに出すのが小説家のモラルだという「小説論」です。人生という散文を欺瞞的に覆い隠している宗教やイデオロギーや伝統などの世界解釈を覆すものが「不滅性を有する芸術」であり、単なる反復や再生産は巧緻であっても芸術ではないというのですから、手厳しいもの。しかも読者にも同じ姿勢が求められているのです。



2013/12/28