りぼんの読書ノート

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われらが父たちの掟(スコット・トゥロー)

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立証責任で弁護士サンディ・スターンと対決した女性検事ソニー・クロンスキーを主人公に据えて、60年代に青春を共有した者たちの世代感覚を描いた作品です。

1995年、女性判事となっていた40代後半に差しかかったソニーの法廷に、州上院議員エドガーの前妻ジューンがスラム街で銃殺された事件が持ち込まれます。容疑者は、彼らの息子で保護観察官のナイル。ギャングたちに父親殺害を依頼したところ、その場に現れたのが母親だったというのです。

ソニーは、エドガーとジューンが60年代のカリフォルニアで革命指導者として振舞っていたころを知っていました。当時の恋人セスは2人が起こした事件に巻き込まれて、徴兵を逃れてカナダに去り、ソニーの人生から姿を消してしまっていたのです。ナイルの弁護に立ったのがセスの旧友トビーであり、コラムニストとなっていたセスも法廷に現れるに及んで、法廷は60年代に青春を共有した者たちの同窓会の様相を呈しはじめるのですが・・。

60年代に揺らいだ伝統的な価値観は、もはや復活することはありません。親の世代の価値観を疑ってきた世代が親となった時代に継承されるものは何なのか。そもそも親の世代の価値観は全て否定されるべきものだったのか。労働運動の先鋭的な闘士を母に持ったソニーホロコーストの生存者を両親に持ったセス、南部の奴隷を先祖に持つトビー。彼らは、エドガーとジェーンのもとでダメ青年に育ったナイルの事件をどう扱うのか。

ソニーは、エドガーから事件の真相を聞いているトビーの戦略に嵌まりながら、誰のことも傷つけない結果を導き出します。かつては革命家気取りの卑劣な大学教授であったエドガーもまた、ナイルの父親として立派に振舞うのですから。そして互いに離婚していたソニーとセスの関係もまた・・。いかにも著者らしく、重いテーマを扱いながら、母親殺害事件の真相を巡る法廷ドラマも超一流である素晴らしい作品です。

本書を以前に読んだ時、ソニーの手紙の結びにあった「これはラブレターよ」の言葉が気に入ったことを思い出しました。だって、全然ラブレターらしくない「論文」なんですから。

2013/9再読