りぼんの読書ノート

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ある生涯の七つの場所(辻邦生)

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辻邦生さんが15年間かけて書き進めた本書は、エピローグまで入れると60年に渡る期間の歴史と個人の関わりを描いた大河小説でありながら、短編連作集という様式を取っています。虹の七色「赤橙黄緑青藍菫」になぞらえた各14編の7つのシリーズにプロローグとエピローグを加えて合計100編という壮大な構成の作品です。

当初は「一人の主人公の幼年期、少年期、青年前期、後期、壮年前期、後期、老年期」を描くとの構成を想定されていたようですが、最終的にはある家族の4世代に渡る複数の人物の物語となっています。日本、ヨーロッパ、アメリカ、東洋各地といった広い背景の中で、人民戦線の成立、ファシズムの興隆、スペイン内乱、排日移民法、ニューデール政策、思想弾圧、戦争という現代史のモザイクのような小説群なのです。

「プロローグ」 昭和初期。仕事で渡米する父親との別れが幼い息子の視点で描かれた後、戦前のフランス労働運動の過激化とスペイン内戦の開始を告げる新聞記事が紹介され、シリーズ全体のトーンが定められます。

「赤い場所からの挿話」 戦前の日本を舞台にして、父親の渡米と母親の療養のために親戚の間を点々とする少年が垣間見る男女関係の光と闇や知人の死が、少年の生死観を形作っていきます。

「橙の場所からの挿話」 「赤の挿話」の幼年期に続く人物の青年期が描かれます。山々に囲まれた都市の旧制高校に入学した主人公が文学と社会主義に出会い、大学に進学してドイツ文学を専攻。大学卒業とともに青年時代に別れを告げて結婚するまでが描かれます。

「青の場所からの挿話」 時代としては「赤の挿話」~「橙の挿話」と平行して進みます。農業問題の調査に渡米した父親は、日系アメリカ人の苦難に接したことをきっかけとして役所を辞めて渡欧。パリを中心とする労働運動や人民戦線の結成を体験していきます。

「藍の場所からの挿話」「青の挿話」と同時代の出来事であるスペイン内乱や国際旅団の参加者たちのさまざまな体験や、報復の悲劇が綴られていきます。後に起こる事件の原因となるエピソードも多く含まれています。

「黄の場所からの挿話」 赤と橙の主人公の息子の物語になります。フランス人女性エマニュエルと現代的な恋愛関係を保ちながら欧州各地を巡る青年が亡命者たちが遺した足跡に触れていく生活は、エマニュエルのアメリカ留学で終わりを告げられます。

「緑の場所からの挿話」 エマニュエルの渡米の間、青年はひとりで、祖父と関係があった労働運動研究者の宮辺音吉が欧州の社会主義運動に違和感を覚えて帰日するまでの足跡をたどります。同時に青年は、まだ生々しい人民戦線やスペイン内戦が遺した傷跡を見ることになります。

「菫の場所からの挿話」アメリカから戻ったエマニュエルとの4年の空白を生めて信頼関係を取り戻した青年は、ついに彼女と結婚して桜の季節に日本に帰国を果たします。その過程で、以前見聞きしたさまざまな事件が過去のスペイン内戦時に起きた裏切り行為の復讐であったことが判明していきます。

「エピローグ」 黄と菫の主人公の息子は家族の4世代目にあたります。スペインに旅に出た青年が、内乱50周年集会に参加する元義勇兵の老人と出会い、壮大な物語の円環が閉じられることになります。

これらの7つのシリーズは2組ずつペアとなって交互に綴られていくのですが、主人公たちのタテのストーリーのみならず、各挿話に登場する同一人物の消息をヨコのストーリーといて楽しむこともできることを記しておかなければなりません。各色を象徴的に帯びた背景や小道具の存在と合わせて、見事な構成力が示されています。さらに各挿話が独立した短編としても高水準なのですから、まさに畢生の大作と言えるでしょう。

各巻のタイトルを紹介しておきます。
1.『霧の聖マリ』 プロローグ+黄:前編 & 赤:前編
2.『夏の海の色』 黄:後編 & 赤:後編
3.『雪崩のくる日』 緑:前編 & 橙:前編
4.『人形クリニック』 緑:後編 & 橙:後編
5.『国境の白い山』 青:前編 & 藍:前編
6.『椎の木のほとり』 青:前編 & 藍:後編
7.『神々の愛でし海』 菫:前後編+エピローグ

2013/1