1533年に生まれたミシェル・ド・モンテーニュは、フランスのモラリスト文学の基礎を築いたとも評される『エセー(随想録)』の著者であり、自らの経験や古典をふんだんに引用した考察は、懐疑と寛容の精神を歌い上げたことで有名です。
夫アンリ2世を亡くした後にヴァロア王室を守り続けたカトリーヌ・ド・メディシスは、「サン・バルテルミの虐殺」を引き起こしてユグノー戦争を激化させてしまいます。両者が戦争状態に入る中でミシェルは、カトリーヌの息子たちのシャルル9世とアンリ3世から、次いでプロテスタントのナヴァール公アンリ(後のブルボン朝アンリ4世)からも侍従に任ぜられています。
カトリックとプロテスタントの両派に人脈を持ち、そのころには『エセー』の第1巻を出版して一流の知識人とみなされるようになっていたミシェルは、両派を仲介して融和させる役割を期待されてしまうんですね。とはいえ、多くの血を流した宗教戦争は容易には治まりません。ミシェル自身も、ボルドー市長時代を除いては、多くの政治的活動はできなかったようです。
そんな時代の中で、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けて寛容の精神を尊んだ『エセー』は、ある意味で奇跡的な著書といえるでしょう。聖書からの引用がほとんどないことから、後には「無神論の書」として禁書とされたほどの作品を、この「宗教の時代」に書き上げたのですから。
有名になった「私は何を知るか?」の文章から「懐疑論」の作品とも言われる『エセー』ですが、単に孤高の精神を貫いたのみならず、著者が本書の第3巻に「精神の祝祭」との副題をつけたほど、生きる喜びを潜ませた作品であるとのことも、本書ではじめて知りました。
ルネサンス期の人物でありながら、人間を中心に据えて語った思想の清新さを評価して「200年後のフランス革命に直接繋がるような存在である」と著者が語ったことも頷けます。ただ本書を読んだからといって、原典にあたろうとまでは思えないかも・・。
2012/7