りぼんの読書ノート

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香乱記(宮城谷昌光)

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秦末に天下の覇を競った楚の項羽と漢の劉邦の影に隠れてしまいましたが、一時は斉国を再興して王となった田氏の末弟・田横を主人公として描かれた全4巻の大河小説。

かつての斉王室の流れを汲む田兄弟らは、始皇帝の圧政を快く思っていず、秦の官僚から狙われますが、県令の罠を逃れて首都・咸陽に向かった田横は、始皇帝の太子・扶蘇の娘を守ったことから、扶蘇の厚遇を得ます。

しかし始皇帝の死後、趙高の奸策にて扶蘇は自害させられ、末子胡亥が即位。厳しさを増した苛政のもとで陳勝呉広の乱が起きて燎原の火のように拡大。秦も名将・章邯を起用して反乱の鎮圧に努めますが、楚の猛将・項羽に大敗。秦はついに滅び、項羽と劉邦による楚漢戦争の時代へと向かう中で、斉国を復興していた田兄弟も時代の流れとは無関係ではいられません。

本家の田儋は隣国・魏王を救出に向かった戦いで秦の章邯に敗れて戦死。後を継いだ従弟の田栄もまた、楚漢戦争の中で項羽に敗れて戦死。田栄の子を王に立てて宰相となった田横は、残虐な項羽にも変節の劉邦にもつかずに魏・韓・梁との連合による自立を企てますが、韓信の進攻によって斉は滅亡。亡国の王となった田横は一族とともに海上の島へと逃れるのですが・・。

項羽と劉邦の物語の中では脚注のようにしか扱われない、短期間で滅亡した斉の田横を主人公とした物語を著わした著者の意図は、『史記』への挑戦であったかのようです。

班固の『漢書』では「列伝」に記される項羽を、司馬遷は帝王篇の「本紀」に収めたように、史書とは世界観を現わすものですが、「後世の人々の精神風土に最終勝者となった劉邦は輝き続けているのだろうか」と著者は問いかけます。

そして漢建国の功将を次々と粛清した劉邦は、単に晩節を汚したのではなく、はじめから「陰謀と変節の梟雄」だったのであり、不屈と無私の象徴として後世に伝わる田横こそを「理想像」とするのです。

諸葛孔明も田横に対して高い評価をしたとのことですが、「判官びいき」の視点を有さない中国では異例の存在なのかもしれません。最後まで楽しく読ませていただきましたが、蘭や李桐ら女性との関係がもっと描かれても良かったかも・・。

2011/11