旧ユーゴスラビア唯一のノーベル文学賞受賞者イヴォ・アンドリッチ氏の『ドリナの橋』を読んだことがあります。ボスニアとセルビアを結ぶ橋を境にして、同じ民族でありながら国家と宗教を異にするようになってしまった人々が繰り広げる愛憎の大河歴史小説。この橋を造った建築家が、本書の主人公であるミマール・シナンなんですね。ちなみに「ミマール」とは、建築家を意味する尊称だそうです。
本書は、オスマン帝国の最盛期を生きて、今なおトルコ最高の建築家と言われるシナンの生涯を描いたドラマです。著者は、TV番組の企画でシナンの建築によるモスクを訪れて感動して、本書の執筆を決意したとのこと。とにかく、スレイマン1世によって50歳近くなってから宮廷建築家の長に抜擢され、その後100歳で亡くなるまでの50年間、3代の君主に仕えながら477の建築作品を手がけたという、超人的な天才建築家なんです。
その中には、あのアヤ・ソフィアを凌ぐ大きさのドームを備えたセリミエ・モスクあり、イスタンブール最大のスレイマニエ・モスクありで、さらには鉛筆形の細長いミナレットを特色とする独特のイスラム建築様式の完成者でもあるというのですから。
著者は、「神が宿る建物を作り上げたい」との純粋な動機が彼に偉業を為さしめたとの設定で、エピソードを積み上げていきます。若き日、イェニチェリに入隊してイスタンブールを訪れ、アヤ・ソフィアの中で神に近づく思いを、後にスレイマン1世となる皇太子と共有する場面や、ヴェネチアを訪問した際にミケランジェロと出会う場面は印象的でした。ヴェネチアのサン・マルコ聖堂には、「人が満ちすぎていて神を感じられない」との言葉や、セリミエ・モスクのチューリップのエピソードなども、この著者らしい描写です。
しかし、です。本書は成功してはいません。読者に馴染みのない国と時代と人物を語るせいなのか、上下2巻の大半が歴史的事実の説明に追われているのです。この著者のいい点が、膨大な歴史的事実の前に霞んでしまっています。
2010/6