17世紀後半、トルコの海賊の捕虜となり、イスタンブールで奴隷となったヴェネツィア人は、自分と酷似したトルコ人学者に買い取られ、まるで当時の東西関係を象徴しているかのような奇妙な共同生活をおくることになります。
2人は、外見的に似ているのですが、資質は異なっています。トルコ人の「師」が、ベネツィア人の「わたし」が有している科学知識を求めるのみならず、西洋的な個人思想に取り憑かれ、「自己とは何か」という根源的な問いに答えを求めようとしていくのに対し、一方の「わたし」はイスラムへの改宗こそ拒み続けたものの、東洋的な「普遍主義」の中に、精神の安寧を求めようとしていくのです。
やがて互いのアイデンティティは揺らぎだし、メフメト4世のポーランド遠征のさなか、筆頭占星官となっていた「師」が作り出した新兵器が、白くそびえ立つドッピア城攻略に失敗した日に、2人の関係は決定的に変わってしまうことになるのでした・・。
本書の背景にあるのは「歴史の転換点」です。メフメト4世の治世下でオスマン帝国の領土は過去最大となりましたが、ウィーン攻囲失敗を境に東西の力関係は逆転し、それ以降のトルコは350年に渡る斜陽期に入っていくのです。ドッピア城攻略は、その遠征の一環でした。
この物語は「師」と「わたし」の物語であるだけでなく、トルコと西洋の関係を描き出す大きな物語と二重写しになっているんですね。そこにあるのは、自分に欠けているものを相手に求めながら、両者の隔たりの大きさを意識する東西の微妙な関係です。その隔たりは、超えられるものなのか。超えられないものなのか・・。
後に『わたしの名は紅(あか)』で、ヒロインのシェキュレに「細密画家にはわたしに似せた肖像画は描けないし、西洋の名人たちには時を止められない」から、「自分の肖像画を永遠に遺したいという望みはかなわない」と述懐させることになる著者が、ノーベル文学賞受賞が20年前に著わした出世作です。
2010/3