りぼんの読書ノート

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ランボーとアフリカの8枚の写真(鈴村和成)

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21歳で詩作をやめて放浪生活をおくったあと、25歳でアフリカの武器商人となり、36歳で骨肉種を患って帰国して右足を切断したものの、癌は既に全身に転移しており37歳で夭折した早熟の天才詩人ランボー。本書は、文芸評論家でランボー研究家である著者が、小説仕立てでアフリカ時代の詩人に新しい光をあてた作品です。

ランボーの足跡をたどるフィールドワークに行ったままエチオピアで失踪した友人を追い、友人の妻を伴って捜索に出た主人公。彼のランボーに対する関心は、高価なカメラ機材をわざわざエチオピアまで取り寄せながら、彼が遺した写真がわずか8枚とは何故なのか。果たしてランボーは詩作を断念していたのか。

もう1枚のセルフ・ポートレート写真があるとの噂を聞き、友人もその写真を追ったに違いないと確信した主人公はアジスからハラルへと向かうのですが、カラフルな世界で高熱を発し、奔放な夫人に翻弄され、迷路のような不思議な世界に入り込んでしまいます。

友人の失踪の理由はともかくも、本書の趣旨は、ランボーの詩作や書簡を紹介しながらランボー論を展開し、ランボーについてのエッセンスを紹介することにあるのでしょうが、それだけではありません。ランボーの「もう1枚の写真」や「ランボーの子孫」を魔術のように取り出してみせ(もちろん架空です)、ランボーの書簡や行動そのものが、ひとつの熱情的な作品であり、若き日の詩作に勝るとも劣らない「生の文学」であると、強く主張するのです。

「サルティン・バンコ」を見たときに、『地獄の季節』や『イリュミナシオン』を思い浮かべました。どれひとつとして暗唱なんかできないけれど、それらの作品が醸し出している不思議な雰囲気を、三次元空間で演出したもののように思えたのです。

2009/4