りぼんの読書ノート

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絶海にあらず(北方謙三)

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平安時代、瀬戸内海で海賊を率いて朝廷に対して反乱を起こした藤原純友を描いた作品です。当時、栄華を極めていた藤原忠平に連なる藤原北家の出身であり、伊予掾として海賊を鎮圧する立場にあった純友が、なぜ自ら瀬戸内の海賊たちの頭領となって反乱を起こすに至ったのか。純友の人物造詣を含めて、北方さんの筆は冴えまくります。

水滸伝』や『楊令伝』で描かれた、人間らしい生き方を求めて権力に反抗する者たちの生き方に共通するものがありますね。しかもそれは、他の人々を巻き込むために、暴発的な反抗ではなくて勝算を持った冷静な叛乱でなくてはならないとするあたりも一緒です。

では、純友は何をしようとしたのでしょう。一言でいえば、藤原北家への中央集権を進める忠平が、自由貿易を制限して船乗りや民衆の生活を苦しめたことに対する、自由人としての叛乱となるのでしょうが、背景は複雑です。名ばかりの遥任で地方を収奪する貴族階級に対する地方豪族の反発は大きな要因ですが、地方豪族も決して一枚岩ではありません。中央に接近する者もいるし、豪族間の勢力争いもあるのです。

そんな中で頭領となるには、人物的な魅力だけではなく、明快な方針を示すことが必要。純友のとった戦略は、戦いの場を瀬戸内海ではなく玄界灘とすることによって中央の疑いをそらして時間を稼ぎながら、忠平が自らの権力基盤強化のために独占していた唐物貿易を集中的に略奪して叛乱の軍資金を蓄え、戦いの期間を2年間と限定することでした。

史実では、伊予で捕らえられて獄中で没したことになっている純友ですが、北方さんはどのような結末を準備したのか・・このあたりが読ませどころ。参集した海賊たちは、自分たちの力を中央に見せつけた後は、普通の船乗りに戻っていけばよかったのですが。

北方さんは、同時期に坂東で起こった「平将門の乱」との連携はなかったように描いています。彼が描きたかったのは、一般に言われている「承平・天慶の乱」以降の武士階級の台頭だけでなく、もっと先の時代を見越したことだったのでしょう。

2008/7