りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

エヴリブレス(瀬名秀明)

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ちょっと「う~ん」です。『BRAIN VALLEY』で大脳生理学を追求し、さらに『あしたのロボット』や『デカルトの密室』などの「ケンイチシリーズ」でAIの未来像に迫り続けてきた瀬名さんが描く「仮想世界」にしては物足りません。

本書に登場する仮想世界「BREATH」で活動する自分の分身は、限りなく本人の属性が投影されていて、自身がアクセスしていない時も、さらには死亡してからも仮想世界の中で自立して活動を続けられる存在とされています。

リアルの人間は日々変化・成長していますので、仮想世界の分身とのズレも生じてしまいますが、アクセスした時に、現在の自身の属性を「共鳴」させて補正可能。さらには、アクセスするたびに分身を作り続けていけば、過去の自分の属性を残した存在を「永久保存」もできてしまいます。でも、このあたり、それほど新味はありません。

しかも・・です。仮想世界の仕組みや分身との共鳴方法などの科学的説明がないのは仕方ないとして、これまで著者が追求してきた「AIサイドの心の問題」、すなわち「共鳴後に活動しつつける分身の自我の問題」が、全く置き去りにされてしまっているんですね。だから本書は、一連のAI物語とは全く別のものと思うべきなのでしょう。

本書の物語は、「人間の側」で進行します。学童期と思春期に、幼馴染の洋平と一緒に光が途切れる場所、すなわち幼心に思う「世界の果て」を見た杏子は、物理学者/経済学者となって、仮想世界の中に「世界の果て」を追い求めるのですが、最終的には違和感を覚えてしまいます。呼吸(ブレス)しない分身は、自分とは異なる、独立した人格にすぎないとの思いをぬぐいきれなかったのです。仮想世界で上空から見た水平線は曲線を描かず、一直線であることに気づいてしまった失望のように、「世界の果て」とは、人工のものであってはいけないのかもしれません。

それでも、杏子の死後、杏子の子どもたちが仮想世界の中で会った、杏子の分身はこういうのです。「共鳴(シンクロニシティ)とは共感(シンパシー)かもしれないけれど、さらに一歩進んで理解や希望や勇気にまで進まなくてはならない。それは分かち合えないものかもしれないけれど、言葉の力を借りて他者とわかり合おうとすることが感情移入(エンパシー)であり、呼吸をしている人間として、シンパシーもエンパシーもどちらも大切」と。

やっぱり本書はファンタジーです。

2008/6