
「第1部アフリカ」に続く「第2部 探検家たち」には、3人の女性が登場します。
ひとりめは日本でも有名なイザベラ・バード。1831年にイングランドで生まれたイザベラは、両親を亡くした後に「健康回復」を目的として世界旅行を思い立ちます。その時40歳。オセアニア、ハワイ、アメリカを周遊した第1回旅行は楽しく、紀行記も人気になったけれど、より有名なのは日本の奥地へと向かった第2回旅行。その時46歳。イザベラの日本人蔑視には辟易させられるのですが、明治11年に通訳の伊藤と2人で地図もない北海道にまで足を延ばした紀行文は学問的にも貴重な文献となりました。助言「できるだけ過酷な旅をせよ。そして専門家でなくても全てを書き記せ」。
ふたりめはイーダ・プファイファー。1797年にオーストリアで生まれたイーダは、ナポレオン戦争時代を良き妻・良き母として生き抜き、小どもたちを育て上げた後に夫を捨て、44歳で世界旅行に旅立ちます。手始めに北欧。次いで南米・中国・インド・メソポタミアを含む西回りの世界一周。3度目は東南アジア、南米諸国を含む東周りの世界一周。多くの場所で「最初のヨーロッパ人」となった旅行では何度も危険な目にあったものの、彼女には現地の人々と親しくなる才能があったようです。特筆すべきはほとんど旅費をかけていないこと。助言「低予算で旅をせよ。極力、宿は請え」。
3人めはメアリー・キングスリー。1862年にイングランドで生まれたメアリーは、未婚のまま両親の介護に尽くし、自由を得たのは30歳の時。西アフリカ沿岸地方から、ガイド1人とポーター2人を伴ってカヌーで内陸部へと入っていき、ついでにカメルーン山にも登山。まるで『コンゴ・ジャーニー』の世界だ。帝国主義の時代に現地に溶け込む旅行をしたメアリーは、新種の魚や爬虫類の剥製も持ち帰り、大英博物館からも評価されたとのこと。助言「アフリカを旅するときは笑いを絶やすな」。
ほかにも1924年に現地の巡礼者に扮し、入国が禁じられていたラサに潜入したアレクサンドラ・ダヴィット・ネール。1889年に当時最速の「72日間世界一周」を成し遂げた、ジャーナリストのネリー・ブライが取り上げられています。惜しむらくは本稿が、彼女たちの足跡をたどらずにヘルシンキと京都で書かれたこと。まあ、世界一周しながらの執筆は難しいでしょうし、現在の世界一周にそこまでの意味はないでしょうから。
ついでながら「荷造り下手な人」という番外編で、ヨーロッパの暮らしを旅に持ち込むために100人以上のポーターに荷物を運ばせた19世紀の2人の女性旅行家たちに、著者は自分自身を加えています。確かに荷物の少なさの点でネリー・ブライに勝てる人はいないでしょうが。
2025/4