りぼんの読書ノート

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最後の大君(スコット・フィッツジェラルド)

著者最晩年の未完の傑作を、村上春樹さんが翻訳してくれました。西海岸版の『グレート・ギャツビー』とも評されている本書ですが、著者は「その先」を目指していたのでしょう。ギャツビーが「どこからともなく降臨した神話的人物」であるのに対し、本書の主人公であるモンロー・スターは「ブロンクスの貧しいユダヤ人家庭の出身ながら、映画という新興のビジネスの中で自らの道を切り開いてきた、有能辣腕の若きビジネスマン」という、具体的な実像を兼ね備えているのです。

 

しかしスターの人生は、頂点から転落していくことが運命づけられています。映画制作に理解のない経営者たちに足を引っ張り続けられる一方で、映画産業界に広がる共産主義者たちとも対峙していかざるを得ません。さらに欧州からは、彼の同胞たるユダヤ人たちの悲鳴が聞こえ始めています。そんな中でスターは、女優であった最愛の妻を亡くし、新たな出会いも思うようには運びません。そして彼は悲劇的な最期を迎えることが「著者のノート」には記されているのです。

 

本書の語り手は、スターに敵対するプロデューサーの娘でありながら、スターに憧れている女学生のセシリアです。『ギャツビー』の語り手であるニック・キャラウェイが傍観者にすぎなかったのと異なり、彼女は当事者のひとりであるが故に、スターの転落に巻き込まれてしまいます。そして知的で観察眼の鋭いセシリアは、そのことに初めから気付いているようなのです。物語の上では脇役にすぎませんが、最も魅力的なキャラクターに思えます。

 

著者は娘に宛てた書簡の中で「人生とは本質的にいかさま勝負であり、最後にはこちらが負けるに決まっている。それを償ってくれるものといえば、『幸福や愉しみ』なんかではなく、苦闘からもたらされるより深い満足感なのです」と語っているとのこと。本書は、著者の文学と実人生の集大成となるべき作品だったのでしょう。それが未完のままに終わってしまったこともまた、何かを象徴しているようです。

 

2023/1