りぼんの読書ノート

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あちらにいる鬼(井上荒野)

井上光晴瀬戸内寂聴の不倫関係を、寂聴と妻・郁子の視点から描き出した衝撃作です。なんといっても著者は井上光晴の長女なのですから。著者は本書を著すに際して寂聴自身から「何でも話しますよ」と背中を押されたとのこと。さらに寂聴は本書を絶賛しています。このことからも2人の作家の不倫が、何か特別なものであったことが窺えますが、真相はどうだったのでしょう。

 

もちろん小説ですから、事実をなぞったものではありません。まして当事者たちの心情など、いかに娘とはいえども計り得ないものがあったはず。それでも本書によって、今は同じ墓地に眠る3人の関係が美しく浄化されたように思えます。小説内では井上光晴は白木篤郎、瀬戸内晴美(寂聴)は長内みはる、光晴の妻・郁子は笙子、また不倫が始まった時には5歳だった著者自身は海里と名前を変えられていますが、このレビューでは実在人物名としておきます。

 

1966年、講演旅行をきっかけとして男女の仲になる光晴と晴美。手あたり次第に女性と関係を持つ光晴でしたが、晴美との関係は特別でした。単なる肉体関係だけでなく「書くこと」による繋がりがあったのです。それは不倫の末に夫を捨てた晴美にとっても同様でした。一方で、繰り返される情事に気付きながらも心を乱すことのない郁子もまた、「書くこと」で夫と深く結びついていた女性だったのです。実際に郁子の代筆による光晴の作品もあったとのこと。それでもこのような関係が長く続くはずはありません。7年間続いたの不倫関係を絶ち来るために晴美は出家して寂聴となります。夫を剃髪式に送り出した郁子にとっても、その日は特別な日になったのです。

 

本書のタイトルにある「鬼」とは誰のことなのでしょう。著者は「寂聴さんから見たら母のことかもしれないし、母から見たら寂聴さんのことかもしれない」と語っています。しかし私には光晴こそが、女性たちを追い回す鬼ごっこの鬼であるように思えてなりません。2人の女性が互いに仲間意識を感じつつ惹かれ合っていたという印象を与える本書は、美しい作品になりました。豊川悦司寺島しのぶ広末涼子による映画までは見ないとは思いますが。

 

2023/1