りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

八本目の槍(今村翔吾)

柴田勝家との戦いで武勲を挙げた秀吉の小姓たちは「賎ケ岳の七本槍」として勇名を馳せ、その多くが後に大名となりました。しかし「7」という縁起の良い数を用いるためにカウントされなかった男こそが、豊臣家のために最大の働きをすることになったのです。かつての僚友であった七本槍メンバーが語る、その男・石田三成とはどのような人物であり、何を望んでいたのでしょう。彼が、徳川の世の次の時代を見据えていたというのは、理想化しすぎのように思えるのですが・・。

 

「1本槍 虎之助は何を見る」

もともとは三成と並ぶ有能な奉行でった加藤清正が、肥後半国の大名に抜擢され、朝鮮出兵の大将に選ばれた裏には、三成の進言があったようです。三成は彼に何を期待していたのでしょう。

 

「2本槍 腰抜け助右衛門」

播磨出身の武則が臆病だったのは、秀吉の兵糧攻めや水攻めで死を覚悟した武士たちが、最後に死に物狂いで戦う怖さをわかっていたからでした。しかしそんな男だったからこそ、西軍の配色濃厚になった関ケ原で、三成のために死に物狂いで戦えたのかもしれません。

 

「3本槍 惚れてこそ甚内」

関ケ原の戦いで東軍に内通して寝返った脇坂安治には、どのような事情があったのでしょうか。播磨時代に救った人妻の八重が、後に大蔵卿となって淀君の側近となった背景には、関ケ原の後に備えていた三成の進言もあったようなのですが。

 

「4本槍 助作は夢を見ぬ」

三成が家康との勝負を急いだのは、時が豊臣に味方しないことを見抜いていたからのようです。関ケ原での敗戦も想定していた三成は、片桐且元に何を依頼したのでしょう。

 

「5本槍 蟻の中の孫六

父親の代から家康の家臣であった加藤嘉明は、秀吉の小姓となってからもずっと、スパイとして家康に仕えていたのでしょうか。どうやら三成は彼の正体を見抜いたうえで、彼の生き方を許してくれていたようなのです。

 

「6本槍 権平は笑っているか」

七本槍の中で唯一大名になれず、関ケ原では決戦に間に合わなかった秀忠につき、大坂の陣では留守居役を命じられて活躍の場を与えらなかった平野長泰が、徳川の大身旗本として明治に至るまで家を存続させた背景には、何があったのでしょう。彼が光成から預かって家康に渡したものとは何だったのでしょう。

 

「7本槍 槍を探す市松」

七本槍の中で最も武勇に優れているものの知略に乏しいと言われてきた福島正則は、関ケ原の敗戦後に捉えられた三成から後を託されます。家康の動きを10年遅らせるために三成が仕組んだことが何だったのか、ようやく正則は気づくのですが・・。

 

2022/7