りぼんの読書ノート

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王朝日記の魅力3『和泉式部日記』の魅力(島内景二)

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「恋多き奔放な女性」との印象が強い和泉式部ですが、平安時代を代表する女性歌人としても有名です。同時期に中宮彰子に仕えていた紫式部和泉式部のことを誉めたり貶したりしていますが、彼女の和歌については「理論的ではないが匂いがある」と評価しています。しかし「葵の巻」での光源氏と若紫の牛車の相乗り場面は和泉式部のエピソードを取り入れているし、「雨夜の品定め」や「玉鬘十帖」に登場する和歌や「御法の巻」で紫上が死去した際の光源氏の挽歌などはいずれも和泉式部の和歌との共通性が指摘されています。強く意識していた存在であったことは間違いないでしょう。

 

和泉式部は最初の夫と別れる前から、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛を理由に親から勘当され、為尊親王の死後には同母弟の敦道親王から求愛されています。弟の敦道親王との交際期間に綴られたのが「和泉式部日記」であり、当時本人は26~26歳の時のこと。もっとも「日記」ではなく「物語」ではないかとの説もあるようです。

 

中宮彰子に宮仕えしたのは敦道親王も亡くなった2年後のことでしたが、その間に詠まれた挽歌も圧倒的な迫力があります。深く愛すること人の悲しみは、同じように深いのでしょう。後に兼好法師西行という、和泉式部とは正反対のイメージを有する者たちが、和泉式部の歌から影響を受けているとの指摘は新鮮でした。現代においては、与謝野晶子円地文子から「ロマン主義の先駆者」として高く評価されていることは有名です。有名な百人一首の「あらざらむ」の歌は、ぞくぞくするほど激しい恋の歌ですし。

 

最期に著者は「夫婦のバランス」について考察しています。和泉式部が最後に添った藤原保昌は一介の武人ですし、紫式部の夫であった藤原宣孝は平凡な人物でした。『更級日記』の菅原孝標女の夫であった橘俊通は文学に理解のない国司であり、清少納言の夫であった橘則光藤原棟世も似たりよったりです。文学レベルのバランスが取れているのは、赤染衛門大江匡衡の夫妻くらいでしょうか。恋歌の贈答からはじまる華々しい恋愛と、生涯添い遂げる夫婦愛とは別物のようです。

 

2022/2