りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ヴェニスに死す(トーマス・マン)

f:id:wakiabc:20211229161412j:plain

学生時代に名画座ヴィスコンティ監督による「ベニスに死す」を見終えた時に、見知らぬ男子学生が「難解だなぁ」と嘆息したことが記憶に残っています。「美少年に惹かれるあまり狂気の中で死んでいく老醜の男性」という存在は、彼の理解を越えていたのでしょう。いや私にも理解できない感情なのですが。

 

27歳で『トニオ・クレーガー』を書いた著者が、本書を書いたのは37歳の時のこと。主人公のアシェンバハが50代の作家であるため後年の著作と思い込んでいたのですが、そうではなかったのですね。もっとも著者は、執筆の前年にヴェネツィアを旅行して上流ポーランド人の美少年に夢中になった経験をもとに本書を書いたとのことですので、より客観的な視点を得るために初老の男性を登場させたのかもしれません。いやモデルとなった美少年に知られることが、単純に照れ臭かっただけかもしれませんけれど。

 

ストーリーは単純です。ヴェニスに一人旅をした初老の作家アシェンバハが、同じホテルに宿泊していたポーランド人の美少年タドゥツィオに心惹かれる物語。ギリシャ美を象徴するような端麗無比な少年の美しさに知性を幻惑されて、コレラの流行を知りつつもヴェニスを離れられず、ついには少年の後を追う中で死を迎えるのです。「愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い」という主人公の思いは、単なるひとりよがりなのでしょうか。作家の心を惹いたことを知った少年が、彼の後を追う作家を翻弄するような行動にこそ、神の戯れのようなものを感じるのですが。

 

主人公に「感性と理性」、「美と倫理」、「陶酔と良心」、「享楽と認識」という相反する価値観の選択を迫った本書は、10年前の『トニオ・クレーガー』と対になっている作品です。著者が個人的な苦悩からの超越を見せることになるのは、本書の直後の『魔の山』からでした。

 

2022/1