りぼんの読書ノート

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トニオ・クレーガー(トーマス・マン)

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1901年に26歳の若さで『ブデンブローク一家(未読)』によってデビューした著者が、その2年後に雑誌に発表した短編です。後に自叙伝で「自分の心に深く結びついた、忘れ難い作品」と評されたこの短編は、自伝的要素を含んでいると言われています。

 

確かに北ドイツの商業都市リューベックの豪商の家系で、厳格で憂鬱な紳士の父親と異国的な美貌の情熱的な母親の間に生まれ、父親の死後に没落した実家を捨てて小説家となった主人公の半生は、著者と重なります。では同級生の美男子ハンスや金髪の美少女インゲボルクに思い焦がれた思春期時代や、大人になり小説家として成功してもなお、同じ苦悩の炎を心のうちに灯し続けているという主人公の内面もまた、著者自身の心情の反映なのでしょうか。

 

おそらく答えはYESなのでしょう。よく本書と比較される後年の『ヴェニスに死す』においても、同じ主題が繰り返し登場しているのですから。「感性と理性」、「美と倫理」、「陶酔と良心」、「享楽と認識」という相反する価値観の選択を迫られるという点で、両書の主人公はあまりにも似ているのです。本書のトニオはかろうじて後者の概念に縋りついて生き延び、『ヴェニスに死す』のアシェンバハは前者の心情に翻弄されて死んでいくという違いはあるのですが。

 

興味深いのは、後者の価値観を尊重する気質が父親から、前者の価値観への憧憬は母親から受け継がれた性格であるように綴られている点です。これは選びきれない究極の選択ですね。対立する概念の両方と共存する道を選んだことが、著者の文筆家としての大成を促したように思えてなりません。次は『ヴェニスに死す』を読んでみましょう。

 

2022/1