りぼんの読書ノート

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へぼ侍(坂上泉)

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戦後大阪で起こった連続殺人事件を描いた『インビジブル』が素晴らしかったので、デビュー作の本書を読んでみました。「へぼ鎮台」と揶揄された大阪鎮台の兵士として西南戦争に参加した主人公が、戦争体験を通じて成長していく物語。

 

大阪奉行所与力の跡取り息子として生まれた志方錬一郎は、維新によって父も家禄も失い、薬問屋に丁稚奉公に出されていました。周囲から「へぼ侍」とからかわれながらも元士族の誇りだけは失っていない錬一郎の望みは、武功を立てて立身出世すること。そんな彼に訪れたチャンスは、西南戦争に派遣するために官軍が元士族を「壮兵」として徴募したこと。この時錬一郎は17歳。

 

ところが意気込みとは裏腹に、彼を待っていたのは厄介者ばかりの部隊でした。なぜか分隊長に選ばれた錬一郎の配下は、博打好きの荒くれ者や、京で公家に仕えていた料理の達人や、大坂蔵屋敷の勘定方だった銀行員など。無駄死にを嫌うのは当然としても、戦場に出ることすら嫌がる始末。それでも新型の銃を配備されればそれなりの戦闘もできるのです。しかし九州の山地を巡って戦闘を繰り返す中で、錬一郎の単純な信念は揺らいでいくのでした。

 

錬一郎に影響を与えるメンバーが豪華ですね。後に首相となる新聞記者の犬養仙次郎。講道館柔道の祖である加納治五郎。手塚治虫の曾祖父となる軍医の手塚良仙。さらには乃木少佐や大西郷とまで出会うのですから。中でも、錬一郎と行動を共にした犬養仙次郎からは、これからの人の真価を定めるものは「パアスエイド(説得)」だと学ぶのです。

 

著者は本書において、世代交代を描きたかったとのこと。戦に出ても敵に闘争心を持つことができず、逆に心を通わせようとする「へぼ侍」の覚悟は、西南戦争によって維新という激動期が一区切りついた後の新しい時代の中で、しなやかに生きる信念へと変化していったようです。この時代を描いた作品は数多いのですが、またひとつ新しい視点から描いた物語が誕生しました。

 

2021/3