りぼんの読書ノート

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植物園の世紀(川島昭夫)

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2020年2月に69歳で亡くなられた著者の業績を偲んで、ゼミ出身者の方々が出版された遺作です。京都大学で長年に渡って教鞭を執られた著者は、18世紀イギリスを中心として南形熊楠研究など幅広い業績を残された方ですが、本書は主に晩年に取り組んだ植民地植物園の研究書。専門性が高いのですが、読み物としても興味を持てる作品です。

 

本書の論点は第1章のタイトルとなっている「植物帝国主義」。15世紀に始まった大航海時代がスパイスを目的として幕を開けたことはよく知られており、実際に歴史上で最も重要な植物の移動は、コロンブス以降の100年間で起こったとのこと。しかし18世紀になって植民地経営を本格化させたイギリスで園芸技術が発展するに伴い、計画的な植物移動が行われるようになったようです。大英帝国が世界中の植民地に建設した植物園群の指令センターとなり、プランテーション経営や三角貿易などの政治・経済・統治政策の礎にもなったのが、ロンドン郊外にある王立植物園のキューガーデン。

 

主な移植例としては、中国産茶をインドのダージリンへ、アマゾン産天然ゴムをマレー半島へ、ポリネシア産パンノキを西インド諸島へ、ペルー産キニーネをインドへと移植したことがあげられますが、他にも日本産のコウゾやクスの移植も試みられたとのこと。英国人プラントハンターであったロバート・フォーチュンの活躍を描いた『紅茶スパイ(サラ・ローズ)』というノンフィクションを読んだことがありますが、まさにこの時代の物語。反乱事件で有名な戦艦バウンティが「浮かぶ温室」と呼ばれるほど、植物輸送に使われていたことも興味深いエピソード。

 

本書には、世界的ネットワークの一環であった、カリブのセント・ヴィンセントとジャマイカ、アフリカ沖のモーリシャス、インドのカルカッタとゴア、東南アジアのペナンとシンガポールの植物園について、歴史や図表などが紹介されています。植物帝国主義も一直線に進んだ訳ではなく、無理解な統治者の登場やライバル国との競争などの阻害要因によって紆余曲折があったことが理解できました。

 

シンガポールのボタニックガーデンは大好きな場所であり、赴任していた時に何度も訪れました。現在では蘭の一大コレクションを始めとする花々を愛でたり、散策を楽しむ癒しの空間という意味合いが強いのですが、植民地経営に深く関わっていたのですね。こういうことを学べるから、歴史は楽しいのです。

 

2021/3