ハンガリー出身でドイツに移住した著者は、いわゆる移民作家ではありません。もともと母国ではマイノリティであるドイツ系の生まれであり、2か国語がともに母語なのです。とはいえ、このような経歴が彼女に対して、よそ者と呼ばれる人々に目を向けさせることになったのでしょう。10篇の短編すべてに、都市の片隅で不器用に生きる人々が描かれています。ありふれた主人公の名前や、繰り返し登場するモチーフ(墓地の花、自転車、バーミセリ、イタリア語など)は、誰が誰であっても「取り替えがきく」ことを意味しているのかも知れません。
「魚はぐ、鳥は飛ぶ」
冴えない年金暮らしの老人からバッグをひったくった若者には誤算がありました。その老人の唯一の趣味はマラソンだったのです。とはいえ追いつくことができても、その後はどうなってしまうのでしょう。
「エイリアンたちの愛」
何もできず何もする気のないダメ娘は、青年のコック修行を妨げているのでしょうか。でもダメ娘が不意に失踪した後で、青年も姿を消してしまうのです。
「永久機関」
元妻が親権を持つ息子しか愛せないのに、2週間にいちどしか会えない救急隊員の男のもとに、幼いころの親友の訃報が舞い込みます。彼は旧友と苦い別れをしてしまった過去を思い出します。その思いは、息子への愛情に昇華されていくのでしょうか。
「マリンガーのエラ・ラム」
未婚の母となったエラがずっとダメ娘だったのは、ヒステリックな母親の影響なのでしょうか。しかし写真術の職業教育を受けて手応えを感じたエラは、自分の人生を築いていけるのかもしれません。
「森に迷う」
親の世話をしているホテルマンの男は、それ以外の人との交際を断っているかのようです。密かに思いを寄せている腹違いの姉とこっそり会った男は、森の中のドライブで迷ったあげくに事故にあってしまいます。
「ポルトガル・ペンション」
寂れたペンションと組み立ててもいないアンティーク家具を相続した男は、相続税を払うために家具を競売にかけるのですが、そんな大変な日に恋人から別れを告げられてしまいます。
「布を纏った自画像」
アウシュビッツで死んだ実在の画家フェリックスの妻がモデルの作品。一枚も売れない自画像を描く以外は何もしまい夫に耐え切れなくなりそうな妻は、自転車を譲ってもらって喜びます。しかしベルリンではもう、警官を見かけるだけで心臓が止まるような思いをしなくてはならないのです。
「求め続けて」
ロンドンに研究滞在中のハンガリー人女性は、「あなたは私の命よ」と言ったばかりに恋人に去られてしまいます。歩くことを唯一の趣味にしている彼女の元に、かつて何をやっても勝てなかった元同級生の女性がロンドンでウェイトレスとして働いているとの噂が飛び込んできます。
「チーターの問題」
元動物飼育員だった男性が失業して公務員試験を受けたところ、チーターの無許可飼育にどう対応するかという問題が出たのです。しかし男の回答は、一般公務員レベルにとっては専門的に過ぎてしまったようです。
「賜物 または慈愛の女神は移住する」
ドイツ人の妻とドイツに永住している日本人男性が定年を迎えます。クリーニング店の店先で観音像の絵をきっかけに、そこのオーナーである未亡人の日本人女性に惹かれてしまうのですが・・。異国人カップルの老後生活は難しそうです。
2020/11