りぼんの読書ノート

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あなたの人生の物語(テッド・チャン)

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近年の中国SFの興隆は目覚ましいものがありますが、本書の著者は中国からのアメリカ移民2世です。寡作ながらどの作品も高く評価されている著者が影響を受けたのがアシモフやクラーク、評価する作家はイーガン、ファウラー、ギブスン、スターリングと巨匠の名があがるところを見ると、現代ハードSFの本流に位置する作家なのでしょう。本書に収録された短篇も多彩です。

 

「バビロンの塔」

バビロンの民が天を目指して建設を始めた塔は、数百年の時を経て完成に近づいていました。月や星々を下に見て、ついには太陽の高さを超えてしまいます。そしてついにたどりついた天は、巨大な丸天井だったのです。エラムとエジプトの石工たちが丸天井を穿った先には、ノアの洪水を起こした天井の水源があるのでのしょうか。それとも・・。我々の知る宇宙とは異なる世界ですが、宇宙論や工学は似通っているのです。

 

「理解」

すべてに無意味を見出したサルトルの『嘔吐』の主人公と異なり、本書の主人公は薬物の力を借りて、すべての精神活動の意味と秩序を理解しえる領域に近づいていきます。しかしもうひとり、超知性にたどりついた別の人物がいたのです。2人が繰り広げる死闘は神々の闘いのようです。

 

「ゼロで割る」

異なる分野の定数である円周率と複素数と自然対数を美しく関連付けたオイラーの等式に触発されて著した作品だそうです。全ての数学が誤謬であることを発見してしまった男女の関係もまた、そのことに影響を受けざるをえません。

 

あなたの人生の物語

突然地球に来訪したエイリアンの言語や物理学の体系は、人類と全く異なるものでした。因果論に支配される世界ではなく、目的論的な解釈が可能な世界では、未来を見通せるものなのでしょうか。これから生まれる愛娘の人生が、山岳遭難によって25歳で断たれてしまうことは、避けられない未来なのでしょうか。「メッセージ」のタイトルで2015年に映画化された、美しく悲しい物語です。

 

「七十二文字」

ゴーレムを動かすラビの呪文が科学の代役を務めている改変世界ヴィクトリア朝。ゴーレムに細かな手作業を行わせる名辞を研究している工学者は、やがて人類という種を記述する個体発生に関わる名辞の研究に巻き込まれていきます。それは神の御業に近づくことだったのですが・・。

 

「人類科学の進化」

超人類が誕生して、旧人類には理解不能な研究が科学の最前線になった時代においても、旧人類の文化は永続的かつ斬新的に進化を続けるのかもしれません。

 

「地獄とは神の不在なり」

ときおり天使が降臨し、ときには地獄の幻視すら顕現される世界。ごく少数の者に奇跡を行い、その他の者には甚大な被害をもたらす天使降臨とは、ほとんど自然災害にようなものなのかもしれません。神や天使や地獄の実在が明白な世界においては、信仰の在り方が異なってしまいます。無条件に神を愛する真の信仰とは、どのようなものなのでしょう。

 

「顔の美醜について」

美醜識別を失認させる処置が手軽に施術できるようになった世界。ルッキズムとは排除されるべき悪なのか、必要悪なのか。美醜失認は、人種差別を根絶する第一歩なのか。それとも家族や友人を認識できなくなる全体主義社会への第一歩なのか。ある女子大で美醜失認を必須規定とするかどうかの学生投票が行われることになり、世論は真っ二つに分かれるのですが・・。

 

2020/11