りぼんの読書ノート

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定家明月記私抄(堀田善衞)

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『明月記』とは、新古今和歌集」や「小倉百人一首」の撰者として高名な藤原定家はが記した日記のこと。著者は、戦時中にこれを読んで「紅旗征戎我が事に非ず」の一文に愕然としたそうです。1162年から1241年にかけての定家の生涯は、源平合戦から承久の変という平安末期から鎌倉初期の大動乱の時代であったのに、それを全く無視して芸術至上主義者として生きることを宣言しているのですから。

 

この時、定家は19歳。これは戦乱の世にあっても職業歌人として生きるという覚悟の言葉なのでしょうか。それとも貴族社会の枠組みを超えることができない無知で世間知らずの青年の妄言なのでしょうか。著者は、同時代を生きた西行慈円の視点と比較しながら、「明月記」を読んでいきます。『本編』では19歳から47歳までの青壮年期、『続編』では74歳までの老晩年期の日記が読み解かれます。

 

そもそも定家の時代の「新古今調」とは、どのような作風なのでしょう。和歌に関する該博な知識が求められる「本歌取り」や、味わい深い余韻を残す「体言止め」の手法とは、誤解を恐れずに言い切ってしまうと、虚構の世界を洗練された技法で表現することでしかないのかもしれません。正岡子規の批判も故なきことではないのですが、しかしそうであるが故に、美学的な純度を高めているとも言えるのであり、これ以上の判断は「芸術に何を求めるのか」という鑑賞者の哲学の問題になってしまうようです。

 

さて「明月記」に記された定家の日常は、決してドラマティックでも芸術的でもありません。下級貴族からの出世を望んで除目に一喜一憂し、上司的な立場にある九条家に文句を言いながらもせっせと仕え、既に歌人とした名高かった父親・俊成の健康を気遣い、子どもたちの行く末を気に病み、体面を保つための金銭的な苦労を嘆く、要するに現代サラリーマン的な悩みに満ちた生活なのです。九条家の没落は打撃でしたが、後鳥羽院歌人として認められていくあたりなど、失脚した常務派から社長派に乗り換えたようなもの。こんな生活がどのようにして至高の芸術に昇華されていくのでしょうか。「続編」も読まなくてはいけませんね。

2020/10