りぼんの読書ノート

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方丈記私記(堀田善衞)

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「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の名文で始まる『方丈記』は、無常感を表現する随筆として紹介されますが、著者の読み方は違います。著者は鴨長明を「言語に絶する大乱世を、酷薄なまでにリアリスティックに見すえて生きぬいた一人の男」であると評価するのです。その背景には、著者の過酷な戦中体験がありました。 

 

昭和20年3月10日の大空襲で焼け野原となった東京を眺めた著者は、長明が記した安元の大火を思い起こします。実証精神の持ち主であった長明が、京を焼き尽くした大火災の被害をつぶさに綴り、火元まで探し求めた一方で、右大臣藤原兼実の『玉葉』は、御所や貴族の館の被害に終始しているのです。それは著者の中で、高級乗用車を連ねて東京大空襲の被害を視察に来た天皇の姿と重なっていきます。ちなみに芸術至上主義者であった藤原定家の『明月記』に至っては、大火について全く触れてもいないとのこと。平安末期は、戦争という人災に加えて、地震・竜巻・飢饉という天災に次々と襲われた、日本史上空前の悲惨な時代だったわけですが、長明・兼実・定家の視点は、いずれの場合も同様です。 

 

さらに著者は、長明が無常観などとは程遠いギラギラした人生を歩んでいたことを指摘します。下賀茂神社禰宜の座を親族と激しく争ったこと。内心では新古今調の和歌を貶していながら、千載集にたった一首入ったことで大感激したこと。さらには歌会でわざわざ鴨川の異名を使って売名行為をしたこと。琵琶の秘曲自慢げに演奏して非難されたこと等々。 

 

結果的には長明の世俗的な努力は報われることなく終わります。50歳の時に「世にしたがヘば身くるし。したがはねば狂するに似たり」の境地に達して出家隠棲し、60歳になって『方丈記』を綴るのですが、のですが、著者はそこから感じ取れるものは決して無常観などではないと主張します。長明の真意は「狂っているのは世の中であり、皇室中心閉鎖社会の全否定ではなかったのか」と。 

 

さすがにそこまで来ると「読みすぎ」の感もあるのですが、著者は「身びいきなしに特定の古典について何がなし得るか」と開き直っています。本書は解説書ではなく、著者自身の経験を語った作品なのですから。次は『定家明月記私抄』を読んでみましょう。 

 

2020/9