りぼんの読書ノート

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完本小林一茶(井上ひさし)

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傑作戯曲「小林一茶」をメインに据えて、一茶をめぐるエッセイ、俳人金子兜太との対談、著者選の「一茶百句」をセットにした「完本」です。「我と来て遊ぶや親のない雀」や、「痩蛙負けるな一茶是に有」や、「やれ打な蠅が手をすり足をする」や、「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」などの句から、信濃に隠棲した自然派俳人という印象が強い一茶ですが、彼の生涯には矛盾が多いのです。なぜ異母弟が継いだ実家の相続にこだわったのか。妻との性交回数やメンス記録までを日記に残したのか。 

 

著者は、芭蕉によって確立された職業俳人(業俳)となったものの、江戸では二流業俳にすぎなかった一茶が、信濃に帰って一流とみなされるようになった理由にとことんこだわります。そして著者は、一茶の日記に記されていた「ある事件」がターニングポイントであったと見抜くのです。 

 

それは一茶が、江戸での庇護者であった夏目成美から、480両もの大金を盗んだとして疑われた事件でした。成美とは蔵前の札差という本業を持つ豪商でありながら、趣味の俳人(遊俳)としても一流で、当時の江戸で三大俳人としてうたわれた人物です。一茶に師事していたとされますが、この事件から両者の関係が浮かび上がってくるというのです。そしてこの事件が、一茶を江戸文化から離れさせるきっかけになったのではないかというのです。 

 

著者はこの事件を複雑な二重・三重の入れ子構造の物語として戯曲化するのですが、テーマはシンプルです。竹里というライバルと、三角関係の恋の相手としておよねという女性を登場させ、若い一茶に「俳句と女とを天秤にかけさせる」のです。自分を束縛するおよねの愛を斥けた一茶は、盗難嫌疑事件を機に江戸俳壇から離れることで独自の境地を切り開き、一方ではおよねの心の痛みを感じて女を選んだた竹里を、無名のまま市井に埋もれていきます。 

 

演劇評論家扇田昭彦氏は、「一茶と竹里の対照的な関係は、作者自身の内面の葛藤を鋭敏に反映しているのではないか。そして作者は、自己中心的な芸術への情熱と、人の苦しみへの共感はしばしば対立するものであることをよく知っており、2人とも著者の内面で葛藤し続けている分身である」という趣旨のことを、本書の後書きに記しています。この解説に、これ以上付け加えることはありません。 

 

2020/9