りぼんの読書ノート

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若き日の詩人たちの肖像 上(堀田善衞)

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1918年に生まれた著者が、自らの青年時代を題材にして描いた自伝的長編です。富山の廻船問屋の家に生まれ、金沢の中学校に通った少年が、大学受験のために上京したのは1936年の2月26日。226事件が起こった日でした。このことに象徴されるように、少年の前半生は戦争の暗い影に覆われていきます。 

 

既に経営が破綻していた実家から送られてきた骨董品を売りながら、少年がはじめに学んだものは、音楽とレーニンでした。やがて治安維持法による取り締まりが厳しくなっていく中で、左翼詩人たちと知り合った少年は詩作に傾倒していきます。そして、国家なるものが個人の思想と行動の自由を奪っていく過程をつぶさに見たことが、少年の政治意識や文学感覚に大きく影響を与えるのです。上巻にあたる第2部の終了時点では、まだ太平洋戦争は始まってはいません。しかし既に欧州の戦火は広まっており、日中戦争も泥沼化していく中で、少年は「詩とは死のことだったのか」と実感するのでした。 

 

20歳前後の青年時代ですから、女性の影響も大きいのです。常に楽観的でかつては自由民権運動と関わっていた祖母は別格ですが、友人が熱愛した被差別部落出身の踊り子、朝鮮の大金持ちの坊ちゃんに棄てられたやせっぽちの少女、新宿のバーで働いている元新劇女優で性的拷問を受けたマドンナ。しかしどの女性も彼を通過していっただけのようです。いや、女性たちのほうが彼を通過したのかもしれませんが。 

 

物語はいよいよ、暗い時代に入っていきます。そして「現在程度の自由」を得るために費やされた「膨大な犠牲」がどのようなものであったのかを、読者は知ることになるのです。 

 

2020/9