りぼんの読書ノート

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ドゥ・ゴール(佐藤賢一)

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ドゥ・ゴールがパリ解放を祝ってシャンゼリゼを歩く、1944年8月26日の写真は有名です。しかしこの時彼は、実に際どい橋を渡っていたのです。ドイツに占領されていたフランスが、なぜ連合国による軍政を免れて、戦勝国として扱われたのか。それどころか、パリ解放に功績のあった共産党系のレジスタンス勢力に対して主導権を取ることができなければ、分割占領や、国家の分断や、内戦すら起こる可能性があったというのです。 

 

そもそもフランス降伏時に国防次官にすぎなかったドゥ・ゴールが、国外に亡命政権を樹立する資格などあったのでしょうか。実際にロンドンに「自由フランス」を立ち上げた際の位置づけは、他国の臨時政府や国民委員会より低い軍事団体でしかなかったのです。その状況を変えていったのは、赤道アフリカなどのフランス植民地軍を傘下に収めて連合軍の一員として戦闘を続けた実績と、絶え間なくフランス国民に呼びかけ続けた活動のようです。 

 

そんなドゥ・ゴールが戦後のフランス臨時政府の首班となった背景には、米ソ対立の構図や、二大強国の狭間に陥りそうなイギリスの後押しもあったわけですが、最大の要因はフランス国民の支持でした。シャンゼリゼを歩むドゥ・ゴールに対する熱狂が、連合国に対して、彼の存在の大きさを示したのです。 

 

戦後のドゥ・ゴールには「派手な独裁的な国政政治家」の印象が強いのですが、大統領権限を強化した第五共和国憲法も、国論を二分したアルジェリア独立の決断も、宿敵ドイツとの強固な連携も、すでに評価も定まっています。米英に距離感を保った独自路線ですら、イギリスのEU脱退や、トランプのナトー脱退検討などの現状を見ると、慧眼であったのかもしれません。 

 

著者も述べているように、没後50年にすぎない現代政治家の歴史的評価など不可能なのでしょう。しかしフランスの偉大さを求めつつ「私がフランスだ」と言い続けた尊大さを、激動の時代を乗り切るパワーに変えた人物であることは疑いようもありません。 

 

2020/7